平安時代のモテ男の条件。
それは、イケメンで和歌が上手いこと。
この2つの条件を満たした貴公子こそ、在原業平です。
彼をモデルにした「昔男」が主人公の小説が『伊勢物語』です。
教科書でもたびたび登場するので、高校生にとっては馴染みの人物かもしれません。
今回は『伊勢物語』の中でも「かきつばた」の歌で有名な章段を取り上げます。
『伊勢物語』とは
全部で125段の物語ですが、書き出しが「昔、男~」であることから「昔男」の物語だといわれたりもします。
大半が独立した短編物語で、物語の中に和歌が登場します。
作中で「男」と書かれる主人公の「初冠(ういこうぶり)」から「臨終」までを描いた一代記風の物語となっています。
主人公のモデルはイケメンの在原業平
物語の主人公の「男」は古くから在原業平のことだと考えられてきました。
そのため、業平をあらわす「在五が物語」「在五が中将の日記」などともよばれてきました。
在原業平は平安時代初期の天皇である平城天皇の孫で『古今和歌集』の代表的歌人として知られています。
『古今和歌集』にはたくさんの歌が納められていますが、その中でベスト6といってもよい歌人が「六歌仙」として知られています。
在原業平のほかには小野小町、僧正遍照、大友黒主、文屋康秀、喜撰法師がいます。
大友黒主以外は百人一首に収録されているので、知っている人が多いかもしれません。
今回の主人公在原業平は超が付くイケメンでした。
歴史書『日本三大実録』では、彼のことを「イケメンで気まま、漢詩文の才能はないけれど和歌が得意」などと書かれています。
和歌が恋愛の絶対条件だった平安時代ですので、業平は当代屈指のモテ男だったといえます。
皇族に生まれながら高位高官を藤原氏に独占され、宮中での出世の見込みがあまりなかった業平にとって、官僚としての出世に必要な漢詩文の勉強はあまり意味がなかったのかもしれません。
ジャンルは歌物語
伊勢物語のジャンルは歌物語といいます。
歌物語は和歌を中心に構成された短編物語で、必ず和歌が登場します。
平安時代前期の10世紀(900年代)に集中的に作られました。
『伊勢物語』のほかに『大和物語』や『平中物語』などが歌物語の代表とされています。
「東下り」の登場人物
「東下り」に登場するには「男」と「もとより友とする人」だけです。
それぞれ、みてみましょう。
男
『伊勢物語』の定番である「昔、男ありけり」の男です。
彼は自分のことを「えうなきもの」と思って、都から東の方に移住しようとしています。
「えうなきもの」とは、必要がないものという意味で、自分には価値がないと思っていたのかもしれません。
当時、都と地方の格差は非常に大きく、都から地方に逃げるようにして去ることは「都落ち」などとよばれていました。
もとより友とする人
直訳すれば、以前から友人としている人となります。
誰を指しているのか定かではありませんが、かなり仲が良い友人だったのかもしれません。
都落ちする男と同行しても、正直な話、あまりメリットはありません。
ということは、男と本当に仲が良く、都落ちする友人を気にかけて一緒に東下りをしてくれた人ではないでしょうか。
「東下り」のわかりやすい現代語訳
「東下り」をわかりやすく、ざっくり意訳してみましょう。
品詞分解を厳密に行った精密な訳ではありませんが、全体像をつかむときの参考にしてください。
物語は基本的にナレーション(地の文)をベースに語られます。
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昔、男がいました。
その男は、自分のことを「必要のない人間だ」と思って都を離れました。
男は東の方に住むのによい国を探そうと思って都を出たのです。
以前から仲良くしていた友人一人、二人と一緒に都を出ました。
都を出たのは良いものの、ちゃんと道を知っている人がいなかったので、迷いながら東の国に向かいます。
一行は三河国(現在の愛知県東部)の八橋(やつはし)という場所に到着しました。
八橋の名はこの地域の地形に由来します。
川の水がまるでクモの足のように八方に分かれているため、橋を八つかけたことから八橋と名付けられました。
一行は流れる川(沢)のほとりにある木の陰に降りて、乾飯を食べました。
その沢には「かきつばた」の花がとても美しく咲いていました。
花を見て、一行の中の誰かが「かきつばたという五文字を句の上において旅の心を詠め」と和歌のお題を出しました。
お題に沿って男が詠みました。
からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞ思ふ
和歌の意味は後ほど技法と一緒に解説します。
男の歌を聞いた人々は、感動して乾飯の上に涙を落してしまいました。
そのせいで乾飯はふやけてしまったといいます。
男はなぜ東(東国)にいったのか
「東下り」は前振りなく始まります。
そのため、男がなぜ東国に行くのか、なぜ、自分を「えうなきもの」と思っているのかについて一切説明がありません。
ここでは「東」の範囲と従来からの最有力説である失恋説、出世が望めないが故の地方移住説などについて解説します。
東はどこ?
東(あずま)は文字通り、都から見て東方を指すザックリとした概念です。
京都から見て東海道をとおって東に行くことを「海道下り」といいますが、途中で東海道に属する三河国によっていることから、男も海道下りをしていたと推測できます。
男とその一行は武蔵国と下総国の間を流れる隅田川を船で渡っていることから、少なくとも関東まで行ったことは確かなようです。
その後『伊勢物語』を読み進めると、男は東北地方である陸奥国まで行ったことがかかれています。
最有力の失恋説
古くから最有力の説と考えられているのが在原業平の失恋話として語られる二条后との恋物語です。
二条后は本名を藤原高子(こうし・たかいこ)といい、時の権力者である摂政藤原基経の妹です。
高子と業平には以下のような伝説があります。
二人は人知れず恋愛関係にあったとされ、高子を宮中に入れたい基経は業平との仲を引き裂こうとしていました。
あるとき、業平と高子は駆け落ちしましたが、基経にバレて連れ戻されたといいます。
この時のことを描いたのが『伊勢物語』第6段でした。
事実かどうかはさておき、イケメンの業平の本気の恋は伝説になってもおかしくなかったのかもしれません。
出世が望めず地方に移住
業平が生きた時代、宮中の高位高官は藤原氏に独占されつつありました。
藤原基経率いる藤原北家の力は絶対的で、左大臣・右大臣はもとより、大納言・中納言・少納言などの高位高官になるには藤原氏との関係が強く影響していました。
業平は皇族の血をひいていましたが臣下に下っていたため、藤原氏より不利な立場にありました。
彼のような境遇の皇族系の貴族は多数存在しており、実際に地方に下向して国司となり、そのまま土着するものも数多くいました。
全国各地に皇族にルーツを持つ源氏や平氏が存在したのも、元皇族が地方移住したからでした。
男の動きは時代を先取りする行動だったのかもしれません。
「かきつばた」の訳と和歌で使われた5つの技法
「かきつばた」の歌の訳
最初に、「かきつばた」の歌と対訳を書きます。
<本文>
からころも きつつなれにし
つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ
<訳>
何度も着て体になじんだ唐衣のように自分にとってなじみの妻が都にいるので
その妻を残したまま、はるばる来てしまった旅をしみじみと思うなぁ
本文にないことが随分と訳に盛り込まれています。
なぜ、そこまで付け足すことができるのでしょうか。
それを理解するには、和歌の技法を知らなければなりません。
折句(おりく)
折句は和歌の最初の句の最初に物の名を一字ずつ置いて読む技法です。
これでは、よくわかりませんね。
簡単にいえば、「あいうえお作文」と同じです。
「か」らころも
「き」つつなれにし
「つ」ましあれば
「は」るばるきぬる
「た」びをしぞおもふ
句の頭だけを読むと「かきつばた」となりますよね。
枕詞(まくらことば)
枕詞はある特定の語句を引っ張ってくるために、その言葉の前に特定の言葉を置く技法のことです。
「日」の前には「あかねさす」、「大和」の前には「しきしまの」といった感じです。
「からころも」は次の「き(着)」を引っ張ってくるための枕詞です。
枕詞そのものの意味がなくてもよいのですが、「かきつばた」の歌の場合はちゃんと意味がありますので訳に反映させましょう。
序詞(じょことば)
序詞は通常7音からなり、枕詞と同じような働きをします。
「からころも きつつ」は「なれ」を引っ張ってくる役割があります。
枕詞よりは緩いルールで、作者のオリジナル序詞もあったりします。
掛詞(かけことば)
掛詞は一言でいえば同音異義語です。
「なれ」は「馴れ」と「萎れ」の同音異義語であり、「つま」は「妻」と「褄」の同音異義語、「はるばる」は「遥々」と「張る張る」の同音異義語です。
ちなみに「張る」は着物を洗濯してのりづけする作業のことです。
現代でいえばダジャレに近いですが、エレガントなダジャレかもしれません。
縁語(えんご)
縁語は近いイメージの言葉です。
言葉の連想ゲームといってもよいでしょう。
「萎れ」「褄」「張る」「着」は衣服に関する縁語であり、「からころも」と結びついています。
これを踏まえると、「かきつばた」の歌には2つの意味が込められているとわかります。
都で着る美しい衣を着て一緒に慣れ親しんだ妻を都に置き、遠くまで来てしまったなあと思う心情が一つ目です。
もう一つは、着物がよれよれになって川で選択してから着ている様子です。
この二つを重ね合わせることで、「かきつばた」の和歌の意味が浮かび上がってきます。
和歌の世界は非常に奥深いです。
同じような秀逸な和歌の例として「大江山」の例外あります。
興味がある人は、そちらの記事も読んでみてください。
まとめ
藤原氏の力が強い都での出世をあきらめたのか、あるいは高子との失恋が原因なのか、はっきりしたことはわかりませんが、「東下り」をした男の姿は在原業平の生涯と重なります。
かきつばたの歌は和歌について学ぶ絶好の教材となりますので、しっかりと学んでいきましょう。