地政学に出てくる用語の一つに緩衝国、あるいは緩衝地帯という言葉があります。
緩衝国・緩衝地帯とは対立する勢力の間にある国や地域で、両勢力の直接衝突の可能性を減らす地域のことです。
今回は、緩衝地帯の意味や地政学用語のリムランド、現代のランドパワー・シーパワーの大国、緩衝地帯の具体例、ロシアから見たウクライナの地政学的位置などについてまとめます。
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緩衝地帯とは
地政学で緩衝地帯とは、大国や大勢力に挟まれる場所に位置する諸国や地域のことを指し示します。
たとえば、冷戦時代にアメリカを中心とする西側諸国とソ連を中心とする東側諸国の緩衝地帯となった場所は東欧や東南アジアでした。
19世紀後半から20世紀前半に活躍したイギリスのマッキンダーは、大英帝国の覇権を守るためには、ドイツやソ連の勢力拡大を阻止するため、緩衝地帯を作るべきだと主張します。
ランドバワーとシーパワーがぶつかるリムランド
地政学を理解するには、ランドパワーやシーパワーの理解が欠かせません。
ランドパワーとシーパワーについて知りたい方は、こちらの記事を先にお読みください。
リムランドの定義
海軍力の及ばないハートランドの周辺地域をリムランドといいます。
リムランドの考え方を提唱したのはアメリカのスパイクマンです。
彼は、ヨーロッパから中東、インド、中国、ロシアの太平洋沿岸までの地域をリムランドとよびました。
リムランドは農耕に向いた気候で、人口が多く、中小国家が乱立しやすい地域と定義しました。
ランドパワーの大国であるロシアの力を抑え込むには、アメリカがリムランドの国々に影響力を及ぼす必要があると主張したのです。
ランドパワーの大国であるロシアの圧力を受けた具体例の一つがフィンランドでした。
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これまで、ヨーロッパ諸国への干渉に消極的だったアメリカは、第二次世界大戦後、西側諸国の盟主としてリムランドの国々に働きかけ、ソ連の封じ込めを図ります。
その意味で、冷戦の構造はランドパワーのソ連とシーパワーのアメリカがリムランドをめぐっての対立ととらえることもできます。
ランドバワーの国
これらの国は大規模な陸軍を持ち、鉄道や道路を使って部隊を移動させます。
ランドパワーの国々は近隣諸国に領域を広げるため、しばしば戦争してきました。
7年戦争や普仏戦争、第二次世界大戦の独ソ戦、清王朝による新疆征服などはランドパワー国家による周辺への浸透といえます。
上記の地図で中国はリムランドに属していますが、中国が強い経済力と軍事力を持っていることを考えるとリムランドというよりランドパワーの国と考える方が現代に即していると考えます。
シーパワーの国
シーパワーの国は国の周囲を海洋に取り囲まれている国です。
周囲を海に囲まれていたり、長大な海岸線を有するシーパワーの国は海軍が重要です。港湾施設をもち、領土的支配よりも交易ルートや交易拠点の支配を重視します。
その意味では大航海時代のポルトガルもシーパワーの国といってもよいでしょう。
交易ルートを守るための戦いは辞しませんが、戦争による領土獲得を最優先とするわけではありません。
シーパワーの国にとって大切なのは海の交通路(シーレーン)のコントロールだからです。
緩衝地帯の具体例
18世紀のポーランド・リトアニア共和国
ポーランド・リトアニア共和国は現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナなどで構成された国でした。
東にロシア帝国、南にオーストリア=ハンガリー二重帝国、東にプロイセン王国(後にドイツ帝国)と列強に挟まれていました。
国内有力貴族の権力が強く、国王の力はかなり制限されていたため中央集権が進まず、気がつけば周辺の峡谷に挟まれる不安定な緩衝地帯となっていました。
そして、18世紀後半にロシア、オーストリア、プロイセンによって3分割され国として消滅してしまいます。
緩衝地帯は周辺諸国の都合によっていとも簡単に消滅させられてしまうという好例といえるでしょう。
19世紀のタイ
18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスやフランスは積極的に東南アジアに進出し、植民地化していきました。
フランスは現在のベトナム・ラオス・カンボジアを支配し仏領インドシナを成立させます。
一方イギリスはミャンマーやマレーシアなどを制圧し植民地化しました。
両勢力のはざまで取り残されたのがチャクリ朝(ラタナコーシン朝)のタイ王国です。
タイはイギリス・フランスの圧力により領土を徐々に削られます。
しかし、両国はタイを奪い合うことで戦いになることを懸念し、タイを独立国のまま維持することとしました。
特に何かの条約が結ばれたわけではありませんが、暗黙の了解としてタイの独立が維持されます。
タイは両国の緩衝地帯として生き延びましたが、あくまでも結果的に生き残っただけです。
19世紀中ごろの国王ラーマ4世はヨーロッパの文明を積極的に取り入れて国力を増強。
跡を継いだラーマ5世も近代化政策を実行しました。
そのおかげでタイは国力増強に成功し、東南アジアで唯一、独立を維持します。
ポーランドとの違いは、緩衝地帯になってから国力増強に成功したかどうかかもしれません。
アフガニスタン
アフガニスタンは中央アジアにある国で、シルクロードの要衝として栄えました。
そのため、文明の十字路と呼ばれることもあります。
中央アジアとインド、イラン方面を結ぶ重要地点だったため、しばしば大国に攻め込まれたという歴史があります。
19世紀後半、インドを植民地としていたイギリスと領土を南に拡大していたロシア帝国との間でアフガニスタンの取り合いがはじまりました(グレートゲーム)。
イギリスはロシアに取られる前に先手を打ってアフガニスタンを制圧し保護国化。
アフガニスタンをロシアとの衝突を避ける緩衝地帯としました。
しかし、1919年にアフガニスタンはイギリスから独立しました。
その後、アフガニスタンは米ソ冷戦の舞台の一つとなります。
1979年、ソ連のブレジネフはアフガニスタン侵攻を開始しました。
その明確な理由は定かではありませんが、アメリカ勢力がアフガニスタンに伸びるのを嫌ったともいわれます。
紆余曲折を経て、2022年現在、アフガニスタンはタリバン(ターリバーン)の支配下にあります。
まとめ
今回は緩衝地帯についてまとめました。
強大な力を持つ国が、相対的に力が弱い国を武力で制圧することは歴史上たびたび起きてきたことでした。
緩衝地帯とされた国や地域が独立を維持するためには政治・軍事・経済において他国に左右されない力を持つ必要があります。
その意味で、タイの前例は参考になりうるのではないでしょうか。