「イランの歴史について知りたい!」
「イラン革命って何?」
「イランとアメリカは、どうして仲が悪いの?」
このページをご覧の皆さんはそのようにお考えかもしれません。
イランはシーア派の大国ですが、19世紀にはイギリスなどの侵略を受けて衰退していました。
20世紀にはいるとパフレヴィー朝がアメリカやイギリスの支援でイランを支配します。
アメリカがイランを支援した理由は石油資源の獲得でした。
こうした外国の介入を嫌う人々はシーア派の指導者ホメイニ師を中心にパフレヴィー朝を打倒するイラン革命を起こしました。
革命で成立したイラン・イスラム共和国はアメリカやイギリスの石油利権を没収。
これにより、イランと欧米諸国の関係は悪化します。
今回はイランの近現代の歴史やイラン革命、イランとアメリカの仲が悪い理由などについてまとめます。
イランの近現代史
シーア派の大国として繁栄したサファヴィー朝の滅亡後、イランでは強大な国が現れず混乱が続きました。
19世紀後半に成立したカージャール朝に対し、ロシアやイギリスはしきりに干渉し、自国の利益を確保しようとします。
20世紀に入り石油資源がみつかり、イランの価値は高まりました。
そのころ成立した親英米のパフレヴィー朝イランは、白色革命を推進しますが、国民からは批判的な眼を向けられます。
シーア派の国、イラン
イスラーム教には大きく分けて二つの宗派があります。
ひとつは、主流派ともいうべきスンナ派です。
現在、スンナ派の盟主として大きな力を持っているのがサウジアラビアですね。
対して、歴代のイスラーム指導者のうち、第4代カリフのアリーやその子孫だけがイスラーム教の指導者であると主張するのがシーア派です。
イランは歴史的にシーア派が多数を占める地域です。
イギリスの干渉
19世紀後半、混乱するイランをまとめたのがカージャール朝です。
このころ、欧米列強は帝国主義政策を採っており、世界各地を自分の支配下・影響下に置こうと争っていました。
イランを狙っていたのはロシア帝国とイギリスです。
1891年、カージャール朝の国王はイギリス人タルボットに、イランでのタバコの権利を全て与えました。
国王は権利を与える見返りに、収益の4分の1を得る契約を結びます。
これに怒ったのがイランの民衆でした。
飲酒が禁じられているイスラーム教徒にとって、タバコはとても重要な嗜好品です。
その権利を外国に売り渡したとして激しい反対運動が起きました。
結局、国王は権利を与えることを断念しますが、多額の違約金を払ったため、カージャール朝の財政は悪化。
さらに、欧米からの借金に頼るようになりました。
親英米のパフレヴィー朝イランの成立
20世紀に入り、イランで石油が採掘されるようになりました。
すると欧米諸国はますますイランに注目します。
1925年、カージャール朝の将軍の一人だったレザー=ハーンが反乱を起こし、カージャール朝を打倒。
パフレヴィー朝を建国しました。
パフレヴィー朝は国号をイランと定め、西欧化・近代化を図ります。
第二次世界大戦中、イランはイギリスの軍事的支配を受けました。
戦争後も、イギリスから強い影響を受け続けます。
イギリス軍が撤退したあとも、イランの石油資源はイギリスの会社であるアングロ=イラニアン石油会社によって支配されました。
パフレヴィー2世のクーデタ
1950年代、イランではイギリスやソ連の圧力に抵抗し、石油資源をイラン人の手に取り戻そうという動きが見られました。
この流れで首相に就任したのがモサデグです。
モサデグはアングロ=イラニアン石油会社の資産を差し押さえ、戒厳令を敷いて操業を停止させました。
イランの動きに危機感を持ったアメリカはCIAを中心にモサデグ政権打倒を画策。
1953年に軍部によるクーデタでモサデグ政権を倒すことに成功しました。
モサデグと対立し、実権を失っていた国王パフレヴィー2世は欧米の支援により返り咲きに成功。
世界の七大石油資本会社と協定を結び、イラン産原油を輸出することになりました。
1961年、パフレヴィー2世は極端な西欧化政策である白色革命を断行します。
しかし、イスラームの教えを無視し、民衆を抑圧するパフレヴィー2世に対し、国民の不満が募りました。
イラン革命
欧米諸国にの支持を受けたパフレヴィー2世に対し、不満を募らせたイランの民衆はシーア派の指導者であるホメイニ師の下に結集。
イラン革命を起こしてパフレヴィー朝を打倒しました。
イランとアメリカの関係は急速に悪化。アメリカ大使人質事件により対立は決定的となります。
ホメイニ師とパフレヴィー2世の対立
イラン革命を指導したホメイニ師は、シーア派の中での主流派である十二イマーム派のイスラーム法学者でした。
ホメイニはパフレヴィー2世が行う白色革命に強く反対します。
西欧化政策が進むことで、イスラームの伝統が軽視されることに反発を示しました。
また、パフレヴィー2世は、アメリカを中心とする石油メジャーと手を組んでイランの石油資源を開発し、利益を独占。
アメリカへの依存を深めます。
国王や側近達が潤う一方、国民生活は一向に向上せず、国民の不満は高まりました。
シーア派の最高指導者となっていたホメイニはパフレヴィー2世の政策を批判。
その結果、国外に追放されてしまいました。
イラン革命と第2次石油危機
1978年、イランの新聞にホメイニを批判する記事が掲載されると、ホメイニ支持派は、記事は政府による陰謀だとして暴動を起こしました。
国外に追放されていたホメイニも、暴動を支持します。
イラン国内ではパフレヴィー2世の退位を求める行動が各所で勃発。
民衆の動きを抑えられなくなったパフレヴィー2世は国外に亡命しました。
かわって、亡命先から帰国したホメイニが政権を掌握します。
パフレヴィー朝が打倒され、イラン=イスラーム共和国が出来たこの事件のことを、イラン革命と言います。
ホメイニは白色革命によって導入されていたアメリカ文化を排除し、イスラーム法に基づく政治を実行すると宣言しました。
引用:富士フイルムのあゆみ オイルショックの襲来 - 省エネルギー、省資源の追求
ホメイニは政権掌握後、資源保護を目的として石油の輸出を大幅に削減。
他のOPEC諸国も大幅な増産を行わなかったことから、石油価格が急騰。第二次石油危機が起きました。
これにより、アメリカやヨーロッパ、日本などの先進国は大きな打撃を受けます。
アメリカ大使館人質事件
イラン革命によりイランを追われたパフレヴィー2世はアメリカに亡命しました。
革命政権はアメリカに対し、パフレヴィー2世の身柄を引き渡すよう、要求します。
しかし、アメリカは国王の身柄引き渡しを拒否しました。
このことに激高した首都テヘランの学生達は、アメリカ大使館に乗り込み占拠してしまいます。
アメリカ大使以下、大使館員52名が人質となりました。
カーター政権は人質救出作戦を実行しますが失敗に終わります。
その後、大統領選挙で敗北したカーターのかわりにアメリカ大統領となったレーガンは、イランとひそかに取引し、人質を解放させることに成功しました。
それでも、長期にわたってアメリカ人を拘束したイランに対する反感が、アメリカ国内では強まりました。
イランとアメリカの対立
ブッシュ大統領による「悪の枢軸」発言やイランで強硬派のアフマディネジャド政権が成立したことで、対立が深まりました。
その後、核合意の成立で、いったんは制裁緩和へと向かいました。
しかし、トランプ大統領の就任と核合意からの離脱により、両国の対立は再び深まります。
「悪の枢軸」発言
2001年、アメリカ同時多発テロにより、多数の人々が犠牲となりました。
アメリカはテロ組織アルカイダの指導者であるビン=ラディンをかくまったとしてアフガニスタンに軍事侵攻します。
翌年、ブッシュ大統領は年頭の一般教書で、イラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しで批判しました。
アメリカは悪の枢軸の国々はテロ組織を支援し、核兵器を開発しようとしていると主張します。
2005年、強硬派でテヘラン市長を勤めたアフマディネジャドがイランの大統領となりました
イラン核合意の成立
アフマディネジャド政権は、医療用のアイソトープを生産するとして、高濃縮ウランの製造を開始しました。
アメリカは、核兵器の開発につながることを懸念し、経済制裁を行います。
2013年、アフマディネジャドが任期満了により退陣。
かわって、ロウハニが大統領に就任します。ロウハニ大統領は、欧米諸国とイランの核開発について交渉を開始。
2015年にイランとアメリカのオバマ政権やヨーロッパ諸国はイランと核合意をするに至ります。
イランは核開発を大幅に制限することを約束します。
アメリカなどはIAEA(国際原子力機関)を通じてイランが核兵器を開発していないかをチェックするという仕組みでした。
これにもとづき、イランへの経済制裁を解除します。
アメリカの核合意からの離脱
2016年に行われた大統領選挙の結果、共和党のトランプが民主党のヒラリー=クリントンを破って大統領に当選します。
トランプは民主党のオバマ政権が行った政策を次々と覆しました。
トランプが覆した政策の一つが、イランとの核合意です。
トランプ大統領はイランとの核合意からの一方的な離脱を宣言しました。
次いで、トランプ政権はイランに対する経済債などを再開します。
加えて、2020年1月2日にイラク訪問中のイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官の暗殺を実行しました。
イランはアメリカに対する報復とウラン濃縮の再開などを宣言します。
さいごに
イラン革命以後、アメリカとイランは敵対関係を続けてきました。
これは、日本にとって別世界の出来事では済まされません。
いまだ多くのエネルギーや工業原料を石油に依存している日本にとって、産油国が集まっている中東地域の不安定化は国の経済を大きく揺るがしかねない大問題です。
同盟国であるアメリカとの関係もあるため、イラン問題で日本は難しいかじ取りを迫られ続けるでしょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。