「じゃがいもの原産地はどこ?」
「じゃがいも栽培に適した気候とは?」
「日本にはどんなふうに伝来したの?」
「おいしいじゃがいもの品種は?」
このページをご覧の皆さんはそのような疑問を持っているかもしれません。
じゃがいもの原産地は南アメリカ大陸のアンデス山脈周辺で、この地域にあったインカ帝国の重要な食糧源でした。
じゃがいもが日本に伝わったのは江戸時代。
オランダ商人がインドネシアのジャワ島にあった「ジャガタラ(現在のジャカルタ)」から持ち込んだようです。
現在、メジャーな「男爵いも」や「メークイン」のほかに「インカのめざめ」や「デジマ」といった品種が栽培されています。
今回は世界史に大きな影響を与えた「じゃがいも」について紹介します。
「じゃがいも」とは?
じゃがいもは、もともと南米のペルー周辺が原産地とされています。
冷涼な気候を好み、高緯度のやせた土地でも育つことから、ヨーロッパでは庶民の食べ物として重宝されました。
じゃがいもは貧困層の救世主となります。
しかし、連作障害や害虫、疫病に弱いという弱点があり、1840年代のアイルランドではジャガイモ飢饉が発生しました。
ジャガイモの故郷はどこ?
ジャガイモの故郷は南米のペルー。
ペルー南部にあるチチカカ湖周辺が発祥の地とされます。
ペルーで繁栄したインカ帝国は、トウモロコシとともにジャガイモも主食として栽培していたようですね。
世界的にも有名なマチュピチュには段々畑があり、その畑でジャガイモが栽培されていたようです。
じゃがいもはそのまま食べるというよりも、あく抜きをして粉にする、あるいは乾燥したものを水でもどして食べていました。
いってみれば「じゃがいものミイラ」のようなものを作って保存食としたといってよいでしょう。
じゃがいも栽培に適した気候とは
じゃがいもは冷涼な気候を好む植物です。
アンデスの高山地帯は熱帯にありながら高緯度であるため、年中気温が低く保たれていました。
生育時期に18度から20度の気温があれば十分に育ちます。
また、雨が多すぎてもイモの育成に不向きです。
これらのことから、寒冷で降水量が少ない冷帯での栽培に向いている作物だといえますね。
また、土中の養分が少ないやせた土地でも育つため、氷河の浸食を受けた北ドイツ平原や、火山灰の影響が強い土地などでも育ちました。
ヨーロッパ諸国に流入したじゃがいも
大航海時代、スペインやポルトガルの征服者たちが中南米諸国を征服します。
支配者となったスペイン人たちは白く美しい花をつけ、美味しいイモを実らせる植物に出会います。
それが、ジャガイモでした。
スペイン人たちはジャガイモをヨーロッパに持ち帰ります。
はじめ、ヨーロッパの人々はジャガイモの食べ方をよく知らず、食中毒などを起こしたことから食用というより観賞用として広まりました。
一時期は「悪魔のイモ」とよばれ、忌み嫌われました。
17世紀から18世紀にかけて、ドイツでは三十年戦争をはじめとする大戦争がたびたび起きました。
30年戦争について知りたい方はこちらの記事もどうぞ!
そのたびに、兵士たちによって主食であるムギ類(ライムギ、オオムギ)の畑は踏み荒らされ、収穫量が激減してしまいます。
そんな時、戦いで踏まれても影響が少なく、一定量の収穫量が確保されるじゃがいもはとても重宝されました。
引用:フリードリヒ2世 (プロイセン王) - Wikipedia
プロイセン王のフリードリヒ2世もやせた北ドイツ平原にふさわしい作物として栽培を奨励。
同じ条件をもつアイルランドでも領主たちによって栽培が奨励され、食用として広く広まりました。
連作と害虫について
寒冷地でも育ち、高い収穫量を得られるジャガイモは、ヨーロッパの貧困層にとってなくてはならない食べ物となります。
しかし、ジャガイモ栽培には2つの注意点がありました。
一つは連作障害。
原産地であるアンデス地方でもじゃがいもを連続して育てると収穫量が減り、病気になりやすくなることは知られていたようです。
連作障害を回避するため、じゃがいもを栽培した土地では、翌年は別の農作物をそだてるようにしていました。
もう一つは害虫や疫病です。
現在、よく知られているジャガイモの害虫は「ジャガイモシストセンチュウ」。じゃがいもの根に寄生する害虫です。この害虫に寄生されるとじゃがいもは生育不良を起こしてしまうのです。
1972年、日本でも北海道の留寿都村でジャガイモシストセンチュウが発見され、蘭越町、ニセコ町、倶知安町、清里町、斜里町、小清水町などでも被害が報告されました。
アイルランドで起きたジャガイモ飢饉とは
ジャガイモに大きな被害をもたらす病気として、ジャガイモ疫病があります。
ジャガイモ疫病は植物の伝染病の一つ。
当時、ヨーロッパでは収穫量が多い品種を偏って栽培していました。
そのため、一つの品種がジャガイモ疫病にかかると、たちまち、周辺の他の同じ種類のジャガイモにも感染。
被害が拡大してしまいます。
ことに、1840年代にアイルランドを襲ったジャガイモ疫病はアイルランドの人々の食糧事情を極端に悪化させました。
イギリス人地主たちによって搾取されていたアイルランド人の小作人たちは日々の食事にも事欠くありさまとなり、多くのアイルランド人がアメリカへ移民します。
移民の中にのちの大統領となるケネディの先祖がいたことはよく知られていますよ。
じゃがいもの日本伝来
日本にじゃがいもがもたらされたのは、関ケ原の戦いの二年前である1598年だとされます。
オランダ人が、日本にじゃがいもをもたらしました。
オランダ人が植民地としていたインドネシアのジャガトラ港を経由して日本に伝来したことから、ジャガタライモ、ジャガイイモと呼ばれるようになったとの説もありますね。
江戸時代後期には、探検家の最上徳内がアイヌ人たちにじゃがいもを栽培させます。
じゃがいもの品種4選
「男爵イモ」
西洋農法を取り入れる中で、ジャガイモの栽培もおこなわれました。ジャガイモが本格的に日本に導入されるのは明治維新後です。
1906年、函館船渠会社の専務として北海道にやってきた男爵川田龍吉は、欧米で栽培されていた「アイリッシュ・コブラー」という品種のジャガイモを自分が経営する農場に導入します。
1911年に函館船渠会社を退職した川田男爵は、函館近郊の北斗市当別の山林の払い下げを受けてジャガイモを栽培します。
男爵が栽培した芋という意味で、「アイリッシュ・コブラー」は男爵イモと呼ばれるようになりました。
でんぷんが多く、ほくほくした食感を楽しめる男爵イモは、いまでも主力のジャガイモとして栽培されています。
「メークイン」
メークインも、男爵イモと同じころに日本で栽培が始まったジャガイモの一種。
北海道の厚沢部町にあった道立試験場で初めて栽培されたことから、厚沢部町は「メークイン発祥の地」と自認しています。
男爵イモよりもなめらかで、煮崩れしにくいのが特徴です。
カレーやシチューに入れて食感を楽しみたいなら、男爵イモよりもメークインのほうが向いているかもしれません。
紫色の花をつけるのが特徴です。
「インカのめざめ」
インカのめざめは2002年に新たに種苗登録された新しいじゃがいもの品種。
アンデス原産のイモと、アメリカの品種を掛け合わせてつくられたイモで、やや小ぶり。
イモは黄色みが強く、甘いのが特徴。
他のイモに比べ収穫量が少なく、病害虫の影響を受けやすいことから栽培が困難ですが、食味が良いことから人気が出てきた品種です。
九州で多く栽培される「デジマ」
1971年、長崎県総合農林試験場で開発された品種。
品種の由来は言わずと知れた長崎の出島ですね。
長崎県はジャガイモ生産量が北海道に次ぐ2位。
意外と、知られていませんが長崎も日本のジャガイモ産地なんですよ。
収量が多く、大きな芋になりやすい品種ですね。
九州で広く栽培されている美味しい品種です。
今回は、日本人にとっても身近な食べ物となっているジャガイモについてまとめてみました。最後まで読んでいただきありがとうございました。