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災害列島日本を象徴するような貞観年間のできごとについて、元予備校講師がわかりやすく解説

こんにちは、木彫りグマです。

 

今年の3月11日で、東日本大震災から9年がたちました。

そのとき、青森に住んでいた木彫りグマにとって、震災は忘れることができない記憶です。

町中の電気が消え、帰宅してもストーブがつかず、ただひたすら朝を待つのは根気のいることでした。

 

日本列島に住んでいる以上、地震や台風、火山の噴火といった自然災害から逃れることは困難です。

これは、今も昔も変わりません。

 

今から1100年以上前の平安時代初期、年号でいうと「貞観」の時代の日本は、立て続けに災害に見舞われます。

 

今回は、噴火・地震・外国の侵略・疫病など、さまざまな困難に見舞われた「貞観年間」についてわかりやすく解説します。

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<a href="https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=TTvfHPLf&area=1">K-factory</a>さんによる<a href="https://www.ac-illust.com/">イラストAC</a>からのイラスト

貞観年間とは:天皇、期間、時の権力者など

 

貞観は西暦859年から877年の十八年間。

昔の年号としては、長いほうですね。

今と違って、昔は天変地異や疫病などが流行すると、すぐに年号を変えることがありました。

中には、1~2年でやめた年号もありますよ。

 

この時の天皇清和天皇陽成天皇でした。

貞観年間の最高権力者は、藤原良房

高校で日本史を選択していれば習ったと思います。

 

藤原良房は対立する他の氏族を失脚に追い込み、藤原北家の支配を盤石なものとします。

貞観年間には大納言の伴善男を応天門に放火し、炎上させたとして失脚させたのが有名ですね。(応天門の変

その後、良房は皇族以外ではじめて摂政に任命されました。

 

貞観年間の火山活動:富士山、鳥海山開聞岳

 

 

平安京藤原氏が自分たちの権力基盤を固めていたころ、富士山が大噴火しました。

この時代、富士山の火山活動は活発で、まるで今の桜島のように、噴煙を噴き上げています。

だから、貞観年間の人々にとって富士山から煙が出ているのは見慣れた光景でした。

しかし、864年におきた貞観噴火はそれまでに例がないすさまじいものです。

 

噴火のとき、富士山から大量の溶岩が流れ出しました。

溶岩は富士山の北西山麓を広く多い尽くします。

噴出した溶岩は富士山の北側に広がっていた剗の海(せのうみ)という大きな湖を埋め尽くします。

このとき埋め尽くされずに残ったのが精進湖と西湖でした。

 

時がたち、溶岩に焼き尽くされた森はいつしか復活していました。

この森こそ、青木ヶ原樹海です。

 

富士山のほかにも、鳥海山開聞岳の噴火が記録されていますよ。

全国各地で噴火が相次ぐなんて、ある意味恐ろしい時代だったんですね。

 

 

東日本大震災に匹敵する津波をもたらした貞観地震

 

869年、富士山の噴火が一段落した貞観11年、日本を新たな災害が襲いました。

貞観地震です。

 

史書『日本三大実録』によれば、現在の東北地方に当たる陸奥国で大地震が発生。

地震発生後、雷鳴のような海鳴りが聞こえ、潮が盛り上がり、多賀城(東北地方の中心拠点)の城下に海嘯が押し寄せました。

海嘯とは、もちろん津波のことでしょう。

 

このときの地震は巨大なもので、東日本大震災クラスの大地震と大津波が東北地方の太平洋沿岸を襲いました。

しかし、朝廷の反応はいたって鈍いもの。

三ヶ月たって、ようやっと現地調査の役人を派遣しました。

 

朝廷を支配する貴族にとって、都から遠くはなれた東北地方のことなど、まるで異国の出来事のように思えたのかもしれませんね。

 

貞観地震津波は内陸まで押し寄せました。

百人一首歌人の一人、清原元輔は「末の松山、浪こさじとは」と詠みます。

末の松山は多賀城市八幡にある丘の上の松のこと。

津波が、この松のすぐ下まで来たといいます。

東日本大震災のときも、津波は末の松山を越えることはありませんでした。

 

「末の松山」の話は、地元に残る故事伝承は、大切に守ったほう良いということを示していますね。

 

朝鮮半島新羅人が攻めてきた貞観の入寇

 

9世紀、新羅王の承認のもと、海賊行為を働く者たちがいました。

彼らのことを、新羅の賊といいます。

貞観年間にも、新羅の賊が九州北部を襲いました。

これを、貞観の入寇といいます。

 

まあ、室町時代になると日本人が朝鮮や中国を襲撃する倭寇になるわけですから、時と場合によって立場が真逆になっても驚くほどのことではないのでしょう。

 

 

病気の流行と祇園祭の始まり:赤痢、インフルエンザ的な疫病、御霊会と祇園祭

 

2020年3月現在、世界中でコロナウイルスが猛威を振るっています。

木彫りグマが住む北海道も、2月末に非常事態宣言が出されてから、緊張した日々が続いていますよ。

 

貞観年間に人々を苦しめたのは消化器系の伝染病である赤痢と、現在でいうインフルエンザのような疫病でした。

富士山噴火や貞観地震より前の861年、赤痢が大流行し10歳以下の子供が赤痢に感染したとの記録があります。

赤痢は、熱が出て下痢をもよおし、便に血が混じる病気だとされます。

 

863年にはインフルエンザを思わせる伝染病(咳逆病)が流行。

朝廷でも多くの人々が病気にかかりました。

 

有効な治療法を持たない人々は、ひたすら回復を祈りました。

人々は、流行病の原因は怨霊の仕業だとかんがえ、怨霊を鎮める儀式(御霊会)を始めます。

それが、現在の祇園祭のルーツです。

 

さいごに

 

今から1100年前の出来事とは思えないほど、近年の出来事と重なる気がしませんか?

ただ、古代人と現代人はいくつもの点で大きく異なります。

医療も進歩し、たくさんの情報も入手できるようになりました。

だからこそ、冷静な視点で世の中の情報に接し、新型コロナウイルスのような厄介な流行病に立ち向かいたいものですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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