天徳の歌合 壬生忠見と平兼盛の「初恋の歌」名勝負

こんにちは。木彫りグマです。

少ない文字数で自分の言いたいことをコンパクトにまとめるのはなかなか技術がいりますよね。

短文といえばツイッターですが、日本語では140文字。(今はもう少しかけるとも聞きますが)。ブログを読み書きしている人からすれば、あっという間にかけてしまうくらいの分量です。

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kiboriguma.hatenadiary.jp

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日本には、ツイッターよりもはるかに短いわずか31文字で心情を表現する短歌があります。あまりに短いゆえに、言葉も表現も洗練されてきました。

今回は百人一首の中でも「恋の歌」として知られる二首を紹介します。

 

 天徳の歌合(天徳内裏歌合)

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時は今から1000年以上昔の天徳4(960)年。

時の帝である村上天皇が行わせた歌合せのことです。

歌のお題を1か月前に出し、左方・右方に分かれてどちらの歌がすぐれているかを決めていきました。

当時一流と目された歌人たちが、あらん限りの表現力を尽くして争った大イベントです。

準備の遅れなどから日暮れごろから始まった歌合は、終了後の管弦まで含めると翌朝まで続けられました。

全部で20のお題で競われましたが、もっとも有名なのは最後の20番、恋の歌の2首でした。

鎌倉時代に書かれた『沙石集』では「歌ゆえに命失ふ事」と題して、この最後の勝負の話をのせています。

初恋の歌2首

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先に歌を詠んだのは壬生忠見でした。

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

恋をしているという 私の名(評判)は 早くも広まってしまいました。人に知られないように 思っていたのに。

想い人に気持ちが、自分の行動によってばれてしまったことの気恥ずかしさが読み取れます。

 

恋になれ、数多くの人と浮名を流すような人ではなく、あくまでも初恋だということを考えると、忠見の表現力は卓越していると思います。

沙石集の中でも、「こんなにすごい歌に対して、平兼盛はどうやって返すことができるだろう。いや、さすがに無理ではないか」と評しています。

 

後攻の平兼盛

つつめども 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

包み隠していたけれど 表面(顔)に出てしまいました 私の心は。 この思いをする(誰かのことを思っている)のかと ほかの人が私に聞いてしまうくらいに(表面に出てしまっていた)

 

これもまた素晴らしい歌です。個人的には忠見の歌の方が、より内面をあらわしているように感じます。兼盛の歌はその点ストレートに「恋の色」を表に出しています。

どちらも素晴らしいので、判定役が困ってしまいました。

 

判定役が村上帝にどちらが良いかと訪ねると、村上帝が忠見の歌を2,3度読み、兼盛の歌を繰り返しお読みになりました。

これを聞いて判定役は「天皇の意思は兼盛の歌か」と”忖度”し、兼盛を勝者としました。

忠見、歌ゆえにを失う

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歌合せに負けた日から、忠見は病の床に臥せってしまいました。

食欲不振で食べ物が喉を通らないといいますから、ショックから一種の拒食症になってしまったのかもしれません。

 

食べ物を受け付けない忠見は日に日にやせ細っていきます。

心配したライバルの兼盛は忠見の見舞いに出かけました。

兼盛「だいじょうぶか?」

忠見「私の病は特別なものではありません。歌合の時、会心の名歌を出せたと思ったのに、あなたの『ものや思ふと 人の問ふまで』の歌を聞いて「あぁ」と思って驚いてしまって、それからは胸が塞がってしまいこのような重病になってしまいました。」と答えました。

 

それからしばらくして忠見はなくなってしまいます。

当時、壬生忠見は下級役人で、歌での出世を夢見ていました。

夢が破れてしまったこともショックだったのでしょうが、渾身の一作の「恋すてふ」の歌が敗れたことに歌詠みとしてのプライドがズタズタになってしまったのでしょう。

たった31文字に命を懸けた二人の歌人

名勝負の成果は百人一首に収録され、現代に残っています。

ブログを書いている以上、上手ではなくても魂のこもった文章を書きたいものですね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。