今なら有名ブロガー 小式部内侍 大江山の歌

こんにちは、木彫りグマです。

今年は、小春日和が随分と続き、初雪がまだ降らない北海道です。

去年のように、突然「ドカ雪」とならないことを心より願っています。

 

さて、今日のテーマは「今なら、有名ブロガー 第2話」と題して歴史上の文化人エピソードを紹介したいと思います。

 

今日の主人公は「小式部内侍」です。

 

小式部侍ってどんな人?

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小式部内侍は平安時代の女流歌人です。名前だけ聞くと紫式部の親戚?と思ってしまうかもしれません。紫式部とほぼ同時代の人物です。

 

母親は当時すでに有名な歌人だった和泉式部。(式部だらけだといって嫌がらないでくださいね)。恋多き女性と知られていました。平安時代恋多き女性ということは、ほぼ自動的に和歌の名人です。

 

平安時代の恋愛手段は「和歌」のやり取り。顔を見るよりも、文字を見るほうが先であることなど珍しいことではありませんでした。和歌で相手の心をつかむことができなければ、「恋多き女性」にはなれなかったのです。

 

小式部内侍は、和泉式部の娘として朝廷でも知られていました。和歌の腕前も母親譲りとあって、たちまち注目の的となります。 

山の歌

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ここからは、高校の古典の教科書にも載っている有名なお話。

『十訓抄』という鎌倉時代に書かれた本に書かれている内容です。

 

母親である和泉式部が夫とともに丹後(京都府北部)に赴任していた時のこと。娘である小式部内侍は和歌の大会(歌合はせ)に呼ばれました。

 

緊張しているであろう小式部内侍をからかってやろうと、定頼の中納言という貴族が「丹後に派遣した使い者は帰ってきましたか?さぞや待ち遠しいでしょう」といいました。

 

母親の和泉式部の力を頼っているんだろう?といわんばかりの挑発です。小式部内侍は「カチン」と来たのでしょう。言い捨てて去ろうとする中納言の服の裾をつかんで

 

大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」

 

と即興で切り返したのです。

すると「まじでスゴイ」歌

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和歌の「採点」は、フィギュアスケートの採点に似ています。

どのような和歌の技法を使ったかという技術点と、和歌そのものが持つ芸術点とで評価されます。

 

まず、大江山と天の橋立は歌枕といって歌で読み上げるとポイントがあがる名所です。

 

次に、掛詞。「いく」は行くと生、これに野を加えると、行く野で野原を行く、旅に出るというぐらいの意味。生野は母のいる丹後に行く途中の地名。「大江山を越えて生野を抜けて野を行く」ぐらいの意訳になります。

 

掛詞その2は「ふみ」。「ふみ」は文と踏み。ということは、母の文も見ていないし、私も足を踏み入れていないという訳です。

 

これでもか、これでもかというくらい技術点を積み重ね、歌枕を上手に使って情景を描き出す。即興で作ったとは思えないくらいの名歌です。

ケンカは手を見て売ろう(笑)

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からかったつもりが、とんでもない歌を投げつけられた定頼の中納言

ふつうは、これに対して何か返歌を返すのですが、歌のあまりの出来栄えに「やべぇ。どうしてこんなことが」などといって、尻尾を巻いて逃げてしまいました。

 

まるで、スカッとジャパンのような展開ですね。

『十訓抄』というのは説話文学なので、さいごに教訓で締めくくられます。この話の教訓は「かるがるしく、人をからかってはいけないよ」です。

 

この話が広まると、小式部内侍の評判は一気に高まったといいます。

現代でも、エッジのきいたブログを書いてくれそうな気がしませんか?

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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