「蝗害とは?」
「2020年に起きた蝗害とは?」
「蝗害の歴史とは?」
このページをご覧の皆さんはそのようなことをお考えかもしれません。
蝗害とは、トノサマバッタやサバクトビバッタの仲間の大量発生によって引き起こされる農業災害です。
蝗は「イナゴ」と読みますが、日本にいる「イナゴ」は蝗害を引き起こしません。
大量発生したトノサマバッタやサバクトビバッタは長距離飛行に適した姿に変化します。
そして、周辺の草木や植物性の製品を片っ端から食い荒らし、食料が無くなると新たな食糧を求めて集団で飛行します。
2019年末から2020年にかけて東アフリカを中心に蝗害が発生しました。
蝗害の発生地域では食糧不足になり飢餓が発生します。
こうした被害は何も現代だけに特有のものではなく、歴史上何度も起きていました。
今回は、蝗害とは何か、2020年におきたサバクトビバッタの蝗害、たびたび蝗害に見舞われた中国の歴史などについてまとめます。
蝗害とは
蝗害の定義
蝗害とは、トノサマバッタなどが大量発生によって引き起こされる自然災害のことです。
トノサマバッタなどの一部は、生息する地域での密度が異常に上昇すると、体が変化し、群れを成します。
群れで飛ぶようになったバッタ(飛蝗)は、えさを求めて移動。
群れの大きさは大小さまざまですが、最大の群れはアメリカで発生したもので、日本の3分の1に達する巨大な群れを形成しました。
行く先々で植物はもちろん、植物由来の製品(たとえば、本など)も全て食べつくしてしまいます。
蝗害は1年で終わらず、数年にわたって続くこともあり、蝗害に見舞われた地域の農業生産は壊滅的な打撃を受けてしまいます。
バッタが襲来した地域では、農業はおろか多くの植物が食い尽くされてしまうため、その地域の人々を飢餓に陥れました。
蝗害の原因
蝗害の原因はバッタ類の大量発生です。
通常、バッタ類は「孤独相」とよばれる状態で生息しています。
バッタ類の密度は低く、広範囲を群れで飛び回ることもありません。
しかし、乾燥地帯で例年よりも多くの雨が降るとバッタ類のえさとなる草の生育が盛んになります。
豊富な餌に恵まれたバッタ類は一気に数を増やします。
乾季が訪れ、草が枯れ始めると残り少ない草に多くのバッタが群れ集います。
このとき、バッタ類に恐ろしい変化がおきます。
色が全体的に黒ずみ、足が短くなる一方で翅が長く伸びます。
これを「群生相」といいます。
これにより、長距離飛行に適した体になるのです。
群れ集ったバッタ類はえさを求め、風に乗り動き出します。
群れが進む方向に法則性はなく、とにかくえさを求めて飛びます。
ただし、一匹一匹がバラバラな方向に飛ぶことはなく、一方向に集団で飛ぶのが特徴です。
しかも、バッタ類は移動しながら産卵を繰り返すので、卵からかえったバッタ類がその後も蝗害を繰り返すという悪循環になることが多いのです。
こうして誕生した恐ろしいバッタ類の群れは進行方向にあるありとあらゆる植物を食べつくし荒れ果てた土地を残します。
蝗害の対策と終息
ありとあらゆる植物を食べつくす蝗害を食い止める方法はないのでしょうか。
もっとも効果的な対策は殺虫剤の散布です。
バッタ類の移動を確認すると、その先に車両や航空機を展開し、殺虫剤を空中で散布します。
とはいえ、所かまわず飛び回るバッタ類の先回りは至難の業です。
殺虫剤散布には高額の費用が掛かることもあり、なかなか、蝗害を根絶できていないのが現状です。
蝗害を収束させるには、群生相のバッタ類を根絶するしかありません。
殺虫剤で数を減らすか、自然条件がバッタ類にとって不利になりえさを失うか。
病気などの流行でバッタ類が一気に死ぬかしない限り、終息は困難です。
日本でも蝗害が発生しかかったことがあります。
2007年に関西国際空港でトノサマバッタ類の群生相が確認されたのです。
幸い、その前に発見し食い止めたため全国的な被害になりませんでした。
詳しくは、こちらのページをご覧ください。
http://www.kannousuiken-osaka.or.jp/_files/00017848/h24-32batta.pdf
2020年の蝗害とは?
2018年、乾燥地帯のアラビア半島に熱帯低気圧のサイクロンが2度も上陸しました。
そのため、普段よりも大量の雨が降り、サバクトビバッタの繁殖に適した環境が出来上がってしまいました。
翌2019年にはサバクトビバッタが大量に発生し、群生相となって飛行を始めました。
蝗害は初期のうちに殺虫剤などで適切に対応すれば抑えられる災害です。
しかし、2015年から続くアラビア半島南部のイエメンでの内戦などの影響で対策は後手に回りました。
その結果、蝗害はアラビア半島だけではなくインドや西アジアや東アフリカにも拡大してしまいました。
2020年になるとサバクトビバッタは東アフリカのソマリアに上陸。
その後、ケニアやエチオピアでもサバクトビバッタによる蝗害が発生しました。
これらの地域では2021年もサバクトビバッタの蝗害が継続すると考えられています。
中国で猛威を振るった蝗害
中国の歴史書には、古代から蝗害が記録されています。
遺跡が確認できる最古の王朝である殷やその次の周の時代から、近現代の中華人民共和国にいたるまで、蝗害は人々を苦しめました。
明末の有名な学者である徐光啓は、飢餓が発生する3大原因として、洪水、旱魃、バッタ(蝗害)をあげています。
蝗害が発生すると、それまで続いていた戦争や政争がピタリと止み、皆、必死に蝗害に立ち向かいました。
中央政府や地方政府に、蝗害対策の力がなく、飢餓を救うことが出来なかった場合、各地で反乱が起きて、飢えた人民が王朝を滅ぼしてしまうこともあります。
蝗害によって誘発された元末や明末の農民反乱
14世紀前半、元王朝の末期のころ、黄河の氾濫や旱魃の発生により人々は飢餓に瀕していました。
そこに、止めを刺すように蝗害が発生。
人々の食料を根こそぎ奪い去れました。
生活の糧を失い、蓄えもなくなった人々に対し、モンゴル人王朝である元は効果的な対策を施しません。
人々の怒りは、元王朝に向けられました。
1351年、白蓮教徒を中心とする紅巾の乱がおきます。
全国各地の反乱軍は、飢えて路頭に迷っていた人民を吸収し勢力を拡大。
まるで飛び回るバッタ(飛蝗)のように、元王朝を飲み込みました。
紅巾の乱を指導した朱元璋について知りたい方はこちらの記事もどうぞ。
それからおよそ300年後、明王朝の末期にも大規模な蝗害が発生しました。
17世紀全は、明王朝は政治の力を失い、農民達の間に不満がたまります。
そこに、旱魃などの自然災害が発生。
追い討ちをかけるように蝗害が発生しました。
蝗害が発生すると、生活できなくなった農民達が食や職を求めて各地を流浪します。
こうした流民たちのなかから、反乱軍が生み出されるといってよいでしょう。
結局、明末には李自成の反乱が起きて明王朝を滅ぼしてしまいました。
毛沢東の大躍進政策が引き起こした蝗害
1905年代後半、毛沢東は「大躍進政策」を掲げてアメリカや当時GDP世界2位だったイギリスに追いつこうとします。
毛沢東が農業生産力を挙げるために奨励したのが「四害駆除」の運動でした。
四害とは、ハエ、カ、ネズミ、スズメのことで、農作物を食い荒らす害のあるものという意味です。
毛沢東の命令により、中国全土でスズメ狩りが行われました。
これにより、農村からスズメが姿を消します。
しかし、1960年ころにバッタをはじめとする害虫の大繁殖が置き、農業生産は壊滅的なダメージを追いました。
これは、世界的に珍しい、人為的な蝗害です。
さいごに
日本人にはあまり縁がない「蝗害」。
世界的にみると、文明を滅ぼしかねないくらいの大きな被害をもたらす災害でした。
今回、東アフリカで起きている「蝗害」が、今後どのようになるか、しっかりと注目するべきだと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。