「黄巾の乱ってどんな反乱?」
「黄巾の乱と紅巾の乱の違いとは?」
このページをご覧の皆さんは、そのような疑問を持っているかもしれません。
黄巾の乱とは、西暦184年に太平道の教祖である張角が起こした反乱です。
張角の反乱を知った後漢王朝は何進を大将軍に任命し、盧植や皇甫嵩、朱儁といった将軍たちに反乱を鎮圧させました。
黄巾の乱は後漢王朝の衰退を招き、三国時代に至る戦乱の幕開けともなります。
今回は、黄巾の乱の内容や原因、スローガン、張角の人物像、太平道の内容、黄巾の乱の経過、よくある質問、黄巾の乱を扱ったドラマや本、グッズなどを紹介します。
黄巾の乱を含む物語としての三国志を描いたのが横山光輝の『三国志』です。
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- 黄巾の乱とは?
- なぜ、黄巾の乱は起きた?
- 黄巾の乱を起こした張角
- 黄巾の乱の経過と結果
- 黄巾の乱にまつわるよくある質問
- 「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」の意味とは?
- 黄巾の乱を扱ったドラマ、本、グッズなど
- まとめ
黄巾の乱とは?
出典:wikipedia「黄巾の乱」Map showing the Yellow Turban Rebellion in Eastern Han Dynasty of China.
©SY(クリエイティブ・コモンズ【表示4.0国際】)
後漢王朝の末期にあたる西暦184年、太平道の教祖である張角が後漢王朝に対し反乱を起こしました。
目印として頭に黄色い頭巾をかぶったことから黄巾の乱の名がつきました。
都の洛陽で同志が捕らえられたことを知った張角は、河北省南部の広宗で挙兵。
張角に呼応する勢力が黄河の中下流域を中心に挙兵したため、黄巾の乱は後漢の各地に拡大しました。
しかし、準備不足の挙兵だったため官軍の反撃を許し、黄巾軍は各地で敗退。
黄巾の乱は1年ほどで鎮圧されました。
なぜ、黄巾の乱は起きた?
黄巾の乱がおきた理由は大きく分けて2つあります。自然災害による困窮と中央政界の乱れです。
自然災害で民衆が困窮していたから
後漢の末期は天候不順が相次いでいた時代です。
後漢の歴史をまとめた『後漢書』によると、1世紀末から洪水や干ばつ、飛蝗(蝗による食害)などが慢性的に発生していました。
自然災害は一部の地域に限らず、後漢領土の半分以上に達しています。
後漢王朝はこうした自然災害に対し、食料の供出などを行いましたが、災害の続発により備蓄が底を尽きてしまいます。
また、西暦181年におきたニュージーランド北島のタウポ火山の噴火が、東アジア地域の冷夏や凶作の一因となり、日本の「倭国大乱」や中国の黄巾の乱を引き起こした可能性が指摘されています。
中央政界が乱れていたから
黄巾の乱のもう一つの理由は中央政界の乱れです。
桓帝(位146-167)・霊帝(位168-189)の時代には官僚と宦官による勢力争いが繰り広げられました。
そして、166年と169年に党錮の禁とよばれる事件がおき、宦官が官僚に勝利しました。
中央政府の高官は、自然災害の発生などで農民が苦しんでいる状況を知りながら、権力闘争に明け暮れていたのです。
黄巾の乱を起こした張角
『三国志』の最初に語られる黄巾の乱は、彼や彼が広めた太平道の信徒たちが起こした反乱でした。
張角のプロフィール
正史『三国志』によれば、信者たちに罪を懺悔させたり、符水を飲ませて病をいやしたため、人々の信仰を集めたといいます。
小説『三国志演義』では、張角が薬草を取りに山に入ったところ南華老仙という人物から『太平要術』の書を与えられ、風雨を呼ぶ能力を身につけたとされます。
いずれにしても、何らかの力で人々を魅了し、ひとかどの宗教結社を作り上げたことは間違いないようです。
黄巾の乱を起こしたとき、張角は自ら”天公将軍”を名乗りました。
反乱を起こしてしばらくすると、張角は本拠地とした広宗で病死。
官軍は張角の棺を暴き、斬首した首を洛陽で木につるし見せしめとしました。
張角が創始した太平道
太平道とは、張角が広めた新興宗教のことで、後漢末期に華北の農民の間で急速に広まりました。
教祖である張角は自ら”大賢良師”と名乗ります。
張角は、病人に対し、自分の罪を悔い改めさせたうえで符水を飲ませ、呪術を行って患者を治癒しました。
太平道には善行の積み重ねが長寿につながるという思想があり、それに従った治癒行為をしたといえます。
こうした活動により太平道の信者は10数年間で数十万人に膨れ上がります。
太平道が広がった背景には、自然災害による天候不順が原因の食糧不足や有効な策を討てない後漢王朝に対する失望感があったのでしょう。
張角は主だった弟子8人を各地に派遣し、信徒団体である「方」を組織させました。
つくられた方の数は36で、大方が1万人、小方でも6~7,000人で構成されていたので、少なく見積もっても30万人前後の信者がいたと考えられます。
黄巾の乱そのものは1年ほどで終結し、教団としての太平道は消滅しますが、青州を中心に生き残った残党が抵抗を続けます。
彼ら黄巾党の生き残りは曹操に降伏し、曹操軍の精鋭部隊として活躍しました。
黄巾の乱の経過と結果
反乱の拡大
184年、張角の腹心である馬元義が部下の密告によりとらえられ、洛陽で処刑されました。
馬元義の任務は洛陽襲撃の下準備です。
事態を重く見た皇帝の霊帝は、宮中や洛陽の都にいた張角のシンパを誅殺し、張角の逮捕を命じます。
計画がバレたと考えた張角は急いで挙兵し、黄巾の乱がはじまりました。
張角は自らを”天公将軍”、弟の張宝を”地公将軍”、もう一人の弟である張梁を”人公将軍”と名乗らせました。
張角の教えに心服する太平道の信者は黄色の頭巾をかぶって挙兵し、各地の役所を襲撃しました。
官軍の反撃と反乱の終息
先手を打たれた官軍でしたが、大将軍何進を中心に体制を整えます。
豫州・潁川方面では、皇甫嵩・朱儁が曹操の援軍と共に黄巾軍の波才を撃破しました。
豫州を平定した朱儁は荊州方面に転進し、南陽に立てこもる黄巾軍に勝利します。
一方、官軍の主力を率いた盧植は黄巾軍相手に連勝を重ねていましたが、讒言により司令官の職を解かれます。
かわって赴任した董卓は黄巾軍に敗れてしまいました。
そのため、豫州で勝利した皇甫嵩が河北に転進し、奇襲で広宗を陥落させ、張角の棺を暴き、首を洛陽に持ち帰ります。
連戦の中、張宝・張梁ともに討ち取られ、指揮系統が寸断された黄巾軍は瓦解。
反乱は1年余で収束しました。
黄巾の乱にまつわるよくある質問
黄巾の乱と紅巾の乱の違いとは?
黄巾の乱は太平道の教祖である張角が、後漢王朝に対して起こした反乱でした。
では、紅巾の乱はどうなのでしょうか。
紅巾の乱は、1351年に白蓮教の教祖である韓山童が、元王朝に対して起こした反乱です。
どちらも農民反乱であることや宗教結社が絡んでいること、反乱が失敗したことは共通していますし、後漢にせよ、元にせよ、反乱後に衰退している点も共通しています。
反乱軍が紅の頭巾をかぶっていたことから紅巾の乱と呼ばれるようになりました。
紅巾の乱後にできた明の時代について知りたい方はこちらの記事もどうぞ
黄巾の乱で曹操や劉備はどうしていた?
官軍の部将として戦った曹操
曹操は後漢末期の武将で、のちに華北を制圧し魏王朝の基礎を築きました。
黄巾の乱のときは騎都尉に任じられ、潁川方面の黄巾軍と戦い勝利します。
黄巾の乱後、済南国の相に任じられ汚職管理を罷免するなど、官僚として辣腕を振るいました。
188年には西園八校尉に任じられ都に常駐するようになります。
曹操について、個人的におすすめしたいマンガが『蒼天航路』です。
もともと、『モーニング』で連載されていたマンガですが、曹操や彼を盛り立てた重臣たちの様子が生き生きと描かれており、曹操版の三国志演義といった感じです。
斬新な切り口でとても楽しめました。
アニメにもなっているので、ぜひ、読んだり、見たりしてください!
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義勇軍を結成した劉備
劉備は後漢末期に登場した武将で、関羽・張飛と義兄弟の契りを交わした「桃園の誓い」で有名です。
桃園の誓いは『三国志演技』のフィクションだといわれますが、関羽や張飛とのきずなは偽りなかったようです。
都尉の鄒靖にしたがって功績をたて、安熹県の尉に任命されました。
しかし、都から派遣されてきた監察官から面会を拒否されたことに腹をたて、監察官の宿舎に乗り込み、彼を縛り上げて杖で200叩いた後で印綬を返還し官を辞しました。
『三国志演義』では、温厚な君子として描かれますが、正史『三国志』では、気性が荒い一面も記録されています。
「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」の意味とは?
黄巾の乱といえば、「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」。
このスローガンがよく出てきます。
蒼天を漢王朝、黄天を黄巾の人々と読み、漢が滅んで私たち黄巾が挙兵した。今年は甲子で、天下大吉であるという解釈をよく見かけます。
もちろん、この解釈自体は非常によく理解できるのですが、最近、別の解釈を見ました。
三国志を研究している早稲田大学教授の渡邉義浩氏は、蒼天は儒教における天の具現化である昊天上帝とし、黄天を儒教以前の神である黄帝ではないかと主張しています。
陰陽五行説とはかかわりなく、儒教を重視する漢王朝とそれを倒そうとする黄巾勢力という見立ては、あながち間違えていないかもしれません。
黄巾の乱を扱ったドラマ、本、グッズなど
横山光輝『三国志』
『三国志』といえば、横山光輝の『三国志』を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
1971年から1987年まで連載された横山光輝の代表作です。
吉川英治の『三国志』をベースに、横山の解説が織り込まれ、非常にファンが多い作品です。
全60巻という大著のため、なかなか手が出ない人も多いでしょう。
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『三国志 黄巾の乱』
「黄巾の乱を描いたドラマはないのだろうか」と思い探していた時に出会ったDVDです。
太平道を悪用する張角と、彼を討伐する曹操という内容でかなりフィクションが入っていますが、とても楽しめました。
史実を知るというより、黄巾の乱を題材にしたファンタジー映画という感じでしたね。
エキストラの多さなどは、さすが中国映画といったところです。
黄巾の乱と桃園の誓い (学研まんが 三国志 1)
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桃園の誓いから黄巾の乱、乱世の奸雄、洛陽炎上と『三国志』の序盤の名場面が詰め込まれたマンガです。
著者の渡邉義浩氏は、中国史に関する数々の研究論文を執筆している方で、三国志研究でよく知られた人物です。
小説だと挫折してしまう人でも、マンガなら読み切れるのではないでしょうか。
三国志の入門本としてもオススメです。
黄天當立のTシャツ
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さいごに紹介するのは「黄天當立」のTシャツです。
はじめは、黄色い頭巾を探したのですがよさげなのがなくて、こちらを見つけて購入しました。
黄色に黒でインパクトがあるので、なかなか外に来ていく勇気がなく、部屋着にしています。
しかし、三国志好きなら「あっ」と思うこと間違いなしのTシャツなので、世の中が落ち着いたら勇気を出してきてみようかなと思っています。
まとめ
今回は、黄巾の乱についてまとめました。
黄巾の乱は張角が起こした農民反乱で、農民たちは太平道の信徒でした。
自然災害による食糧難に苦しめられた人々は、張角の言葉に耳を傾け、自分たちを救おうとしない朝廷に対する怒りを表明したのではないでしょうか。