「絵仏師良秀ってどんな話?」
「主人公の良秀はどんな人?」
「『宇治拾遺物語』って何?」
このページをご覧の皆さんは、そのような疑問を持っているかもしれません。
「絵仏師良秀(りょうしゅう)」は、鎌倉時代初期の13世紀前半に成立した説話物語集の中に収録されているお話です。
この物語に登場する良秀は、仏の絵を描く「絵仏師」です。
自分の家が火事で焼け、妻子がまだ家の中にいるのに、その有様を見て笑う「あさましき」絵師の物語です。
良秀は、なぜ、自分の家が焼け妻子が犠牲になろうとしているのに助けもせず、しかも、笑いながら家が燃える様子を見ていたのでしょうか。
そこには、芸術のためにすべてを差し出しても悔いることのない狂気がありました。
今回は、「絵仏師良秀」の内容や、主人公「良秀」のキャラクター、この話が収められた『宇治拾遺物語』、芥川龍之介の『地獄変』などについて解説します。
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「絵仏師良秀」のあらすじ
昔々、絵仏師良秀という人物がいました。
隣の家が出火し、風にのった火が自分の家に降りかかってきたので、大通りに逃げ出します。
家にはまだ、書きかけの作品や妻子が取り残されていました。
それなのに、良秀は自分が逃げ延びたのを幸いに萌えるわが家の前突っ立っています。
人々は「大変なことだ」と良秀を見舞いますが、良秀は何も答えません。
そればかりか、焼ける我が家を見ながら時々笑っていたといいます。
良秀は「ああ、なんと得をしたことだ。いままで、悪く書いていたものだ」といいます。
まわりの人間は良秀に「なぜこんな(妻子を救おうともせず)立ち尽くしているのだ。驚き呆れたことだ。物の怪でもとりついたのか」といいました。
すると、良秀は
「なぜ、物の怪などが取り付いている。そんなものはとりついていない。
今まで、不動明王の炎を悪く書いていたのだ。
今、(自分の家の火災を)見てみると、(物が燃えるというのは)こういうことなのだと納得した。
これがわかったことこそもうけものだ。
絵の世界で生きていくなら、仏様さえ上手に描くことができれば100軒でも1000軒でも家を建てることができる。
お前たちは能がないから、家が焼ける程度のことで大騒ぎするのだ。」
といいました。
そののち、良秀が書いた不動明王は「よぢり不動」とよばれ、今に至るまで人々に愛でられている。
「絵仏師良秀」の人物像
良秀を理解するためには、彼が生きた時代の芸術について知る必要があります。
良秀が生きた時代は芸術といえば神仏に関わるものでした。
実際の歴史でいうと、鎌倉時代まで、芸術は寺社の中で花開きます。
良秀が、「この世界で生きていくなら、仏様さえ上手に書けばよい」と言い切っているのは、芸術にお金を出すのが寺社であり、彼らの要求を満たせば仕事に困ることがないからです。
良秀が火事の後に描いたのは「よぢり不動」とよばれる不動明王です。
不動明王は仏教を守る仏の一人で、剣や縄を持って仏敵に立ち向かう姿で描かれます。
不動明王は炎に包まれた姿で描かれるのが通例でした。
良秀は火災から逃れた後で、炎を間近に見ることで炎の描き方を悟ったのでしょう。
そのためには、家が燃えても妻子が取り残されて焼かれようとも構わなかったわけです。
現代風に言えば「サイコパス」となるのかもしれませんね。
ただ、それだけ芸術に関するこだわりが強かったことを示しています。
その意味では規格外の人物であり、まさに「あさましき」絵師だったのでしょう。
ちなみに、古語では「あさまし」は良い意味にも使われます。良秀は、良くも悪くも「あさまし」だったと思います。
「絵仏師良秀」が治められている『宇治拾遺物語』とは!?
『宇治拾遺物語』は13世紀に成立した説話文学で、『今昔物語』とならぶ傑作とされます。
遠い外国の出来事や身の回りの出来事などを題材としています。
『宇治拾遺物語』の冒頭では、『宇治大納言物語』をもとに、後世の人が手を加えて成立したと書かれていますが、実際のところ定かではありません。
『宇治拾遺物語』の物語は2種類(分け方によっては3種類)に大別できます。
一つ目は仏教説話。
釈迦の伝記や僧侶たちの行状を題材とし、仏教の教えを語るもので仏門に入る発心や往生などについて物語が多いです。
二つ目は世俗説話。
一般庶民や貴族社会に語り広められた珍しい話題を、その場に居合わせた人が目撃談として語るものです。
「絵仏師良秀」は、まさに世俗説話の典型ですね。
世俗説話から民間伝承を分離すれば、三つ目の区分ができます。
「わらしべ長者」や「雀の恩返し」は民間伝承に入ります。
「絵仏師良秀」に触発された芥川龍之介の『地獄変』
1918年、大正時代に活躍した作家の芥川龍之介は『地獄変』という短編小説を発表します。
芥川は「絵仏師良秀」をもとに独自の話を創作します。
『地獄変』は『大阪毎日新聞』や『東京日日新聞』に連載されました。
『地獄変』は時代設定を平安時代とし、主人公の絵仏師良秀を醜悪な猿のような容姿の人物としました。
そして、良秀は恥知らずの高慢な性格だと設定されます。
良秀には美しく性格の良い娘がいました。
貴族(堀川の大殿)の屋敷に奉公に出ていましたが、良秀はこれを快く思わず、しきりに、娘を返してくれと堀川の大殿に言上します。
ある時、堀川の大殿は良秀に「地獄変」の絵を描くよう命じます。
「地獄変」とは地獄を描いた絵のことです。
実際に見たことがない絵は描けないと良秀は頭を悩ませました。
良秀は絵を完成させるため、弟子を鎖で縛り上げ、ミミズクに弟子を襲わせるなど地獄の様子を再現させるなどして絵をおおむね完成させます。
最後の仕上げの段階で、牛車にのった女が炎に包まれ死ぬ様子を描きたいと考えた良秀は堀川の大殿に、その様子を見たいと訴えました。
堀川の大殿が用意したのは良秀の娘でした。
良秀の娘は縛られ、牛車に入れられ焼かれてしまいます。
その様子を見た良秀はただただ娘が焼かれる様子を眺めました。
その後、良秀は「地獄変」の絵を書き上げ堀川の大殿に献上しますが、献上の翌日に自殺してしまいます。
『宇治拾遺物語』とはだいぶ異なりますが、共通しているのは芸術のためには何でも犠牲にするという芸術至上の精神ではないでしょうか。
さいごに
「絵仏師良秀」は鎌倉時代初期に書かれた『宇治拾遺物語』に収録されている説話の一つです。
自分の家が燃え、妻子が焼かれていても動じることなく、炎の描き方を会得して悦にいる姿はまさに狂気の絵師です。
この作品に魅力を感じて書かれたのが芥川龍之介の『地獄変』でした。
両作品とも短編ですので、ぜひ、読んで比較してみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。