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「千秋庵総本家と千秋庵製菓は違うの?」「六花亭と千秋庵は関係ある?」「山親父やノースマンはどこのお菓子?」わかりやすく解説します!

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「北海道にある千秋庵ってどんなお菓子屋さん?」

「千秋庵と千秋庵総本家の違いとは?」

「千秋庵と六花亭って関係があるの?」

 

このページをご覧の方は、そのような疑問を持っているかもしれません。

北海道で千秋庵といえば、札幌に本店を置く菓子メーカー「千秋庵製菓」のことをさします。

ノースマンや山親父といった菓子で有名なメーカーで、北海道ではローカルCMが流れていたため、知っている人が多いかもしれません。

千秋庵総本家は、函館で創業した千秋庵の大元になる菓子屋をルーツとしています。

また、六花亭は札幌千秋庵から暖簾分けされた帯広千秋庵がもとになっていますが、1977年に千秋庵の暖簾を返上して、六花亭製菓となりました。

今回は、札幌の千秋庵製菓や函館にある千秋庵総本家、帯広に本社を構える六花亭製菓について紹介します。

北海道の食べ物・飲み物について興味がある方は、こちらの記事もどうぞ!

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千秋庵製菓(札幌千秋庵)とは

千秋庵製菓(札幌千秋庵)は、札幌市に本社を置く老舗菓子メーカーです。

創業は1921年(大正10年)で、駅前通りと狸小路が交差する現在の場所に店舗を構えました。

1930年(昭和5年)に店舗を新築した際、それを記念して「山親父」と「原始林」を発売しました。

「山親父」は、初期の千秋庵製菓を代表する菓子で、戦後には道内向けテレビCMで知名度を高めます。

スキー板を履いたクマが鮭を背負う姿をレリーフにしたせんべいで、道民になじみのものです。

牛乳とバターで作ったシンプルな煎餅です。

山親父と聞くと、つい、CMソングを思い出す方も多いようです。ちなみに、山親父のCMは1960年(昭和35年)から放映されたものだそうです。

1950年(昭和25年)、札幌千秋庵は株式会社になりました。このころ発売されたのが小熊のプーチャンバターです。

砂糖、水あめ、バターというシンプルな原料でつくられたバター飴で、放送がとても可愛らしい一品です。

やさしい味わいの飴で、あまりベタベタしないのが特徴です。

やはり、缶や包装の可愛らしさが人気のようです。

1974年(昭和49年)に発売されたのが千秋庵製菓の看板ともいえるノースマンです。

北海道産小豆をパイで包み、甘さを抑えた味で飽きが来ない銘品です。パイというとサクサクというイメージを持つかもしれませんが、ノースマンはしっとりとした口当たりが特徴。

横浜中華街で売られていた「パイまんじゅう」にヒントを得て作られたそうです。パイ生地の温度管理は非常に重要で、今でも腐心しているといいます。

おはようございます☀️

ノースマンはかぼちゃ餡や季節限定の餡などもありますので、北海道旅行の際は、千秋庵の店舗を見てみてはいかがでしょうか。

そして、最近知ったのが「焼きたてのノースマン」。これは、まだ食べたことがないので、札幌に行った際は食べてみたいなと考えています。

そして、2021年9月5日に千秋庵製菓は創業100年を迎えました。

千秋庵の歴史

1860年秋田藩佐々木吉兵衛箱館で菓子店を創業しました。佐々木は故郷の秋田をしのんで千秋庵という屋号をつけたとされます。その後、千秋庵は暖簾分けにより全道に拡大しました。

札幌にある千秋庵製菓は小樽千秋庵から暖簾分けしてできました。また、全国的にも有名な六花亭も千秋庵の流れをくむ菓子メーカーです。  

千秋庵総本家

三代目佐々木吉兵衛は、東京から松田咲太郎を招き四代目を継がせました。

四代目となった松田は、元祖山親父の製法を編み出し、各地の千秋庵に伝えたといいます。

函館では大正時代の末期からどら焼きをつくり始めました。函館を含む道南産の大納言小豆を三日間かけて練り上げ、丁寧な粒あんに仕上げます。そして、その餡を生地で包んで蒸し焼きにしました。

このどら焼きは、今でも千秋庵総本家の看板商品として函館市民に親しまれています。

伝統的な和菓子だけではなく、新商品も開発しています。

2016年(平成28年)に、北海道新幹線の函館開通を記念してつくられた函館散歩は、口当たりの良いカステラ饅頭です。

最近は、小豆餡だけではなく、ミルク餡の函館散歩も発売されています。

どら焼きや函館散歩以外のお菓子に興味がある方は、千秋庵総本家の楽天用サイトもご覧ください。 

六花亭

1933年(昭和8年)、札幌千秋庵から暖簾分けされた帯広千秋庵が開店しました。

戦時中は工場疎開により休業を余儀なくされましたが、1946年(昭和21年)に営業を再開します。

1952年(昭和27年)、帯広市から市制施行20周年の記念菓子製造依頼があり、「ひとつ鍋」を開発します。

1967年(昭和42年)に社長の小田豊太郎が渡欧した際に、チョコレートが流行しているのを見て日本でもはやると確信。帰国後に試行錯誤を重ね、ホワイトチョコレートの発売にこぎつけました。

ホワイトチョコレートは1930年代にスイスのネスレ社が製品化し、1950年代半ばには欧米各国に広まっていました。日本では帯広千秋庵(後の六花亭)が初めて開発に成功します。

ツイートにもあるように、上品で飽きがこない甘さが人気の秘訣です。

ホワイトチョコレートを他社でも販売するようになると、帯広千秋庵は販路の拡大を模索します。しかし、札幌千秋庵との競合などを考慮した結果、1977年(昭和52年)に千秋庵の暖簾を返上。六花亭製菓となりました。

六花亭となってから大ブレイクしたのが看板商品となるマルセイバターサンドです。

マルセイバターサンドのおいしさのひみつは、ホワイトチョコレートの濃厚な味わいにあります。名前の通り、バターを溶かしこんだような味わいは他では味わえないものでしょう。

贈答品におすすめなのがお菓子の詰め合わせの十勝日誌。

見た目が本になっていて、非常に美しく、食べ終わった後はいろいろなものを詰める箱として使われているのをよく見かけます。

はじめてもらった人は、「どれだけお菓子が入ってるの?」とびっくりする十勝日誌。お世話になった方へのお歳暮やふるさと納税の返礼品として利用してはいかがでしょうか。 

まとめ

今回は、箱館にはじまる千秋庵の歴史をまとめました。

札幌でしっかり根付き、北海道銘菓の代名詞となったノースマンや、函館で磨かれたどら焼き、六花亭ホワイトチョコレートなど、千秋庵は北海道のお菓子の歴史を語るうえで欠かせない存在です。

北海道物産展や北海道観光、インターネットで販売されているのを見かけたら、ご購入されることをお勧めします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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