「聖武天皇って何をしたの?」
「奥さんはどんな人?」
このページをご覧の皆さんはそのようにお考えかもしれません。
聖武天皇は奈良時代の天皇で、長屋王や藤原四子、橘諸兄を登用し政治を行わせました。
また、度重なる災害や疫病から国を守るため仏教を篤く信仰し、国分寺や国分尼寺、大仏(盧舎那仏)を作らせます。
さらに、理由は不明ですが何度か遷都しました。
今回は聖武天皇がしたことや妻の光明子について紹介し、天武天皇や桓武天皇とどう違うのかわかりやすく解説します。
聖武天皇ってどんな人?
幼名は「首皇子(おびとのみこ)」で、天武天皇の血を受け継ぐ男子として期待された存在でした。
奈良時代は成人した人物が皇位に就くのが当然とされていたので、幼い首皇子が成人するまで、祖母の元明天皇、叔母の元正天皇が中継ぎで即位しました。
聖武天皇は皇族の長屋王や藤原不比等の4人の子(藤原四子)、橘諸兄らに政権を担当させます。
聖武天皇が最も力を入れたのが仏教で国を守ること(鎮護国家)でした。
さらに、都に盧舎那仏という大仏を作り上げます。
政治の不安や天然痘などの流行病から国や民を守りたいと考えたからでした。
740年から5年間、聖武天皇はたびたび都を変えました。
そのはっきりした理由は今もわかっていません。
749年、聖武天皇は娘の阿部内親王(孝謙天皇)に位を譲ります。
そして、756年に亡くなりました。
宝算56歳でした。
聖武天皇は死後、佐保山南陵に葬られたとされます。
聖武天皇がやったこととは?
長屋王や藤原四子、橘諸兄に政権を担当させた
聖武天皇は皇族や貴族の有力者を左大臣や大納言に任じ、政権を担当させました。
長屋王の時代、農民に与える耕地(口分田)が不足したため「三世一身法」を制定。
税収確保に乗り出しました。
しかし、これは農民たちには不評でした。
頑張って土地を耕しても、結局3代目の後は国に土地を取られてしまうからです。
そうこうしているうちに、長屋王は対立していた藤原四子の策謀で謀反人に仕立てられ自害に追い込まれました(長屋王の変)。
次に政権を担ったのは藤原四子とよばれた藤原不比等の4人の子です。
藤原四子をはじめとする政府高官の大半が亡くなりました。
天然痘について詳しく知りたい方は国立感染症研究所のこちらのページをご覧ください。
彼は玄昉や吉備真備といった遣唐使経験がある人物を登用し、政治改革をおこないます。
橘諸兄の時代に制定されたのが墾田永年私財法です。
開墾した土地は永久に開墾者が私有してよいという法律ですね。
これにより、田畑を耕す農民を確保し、税収を増やそうという試みでした。
聖武天皇時代の土地制度について知りたいかたはこちらの記事もどうぞ!
仏教で国を守ろうとした
聖武天皇の時代、政治は不安定でした。
皇族が死に追いやられた長屋王の変。
こうした「禍」を鎮めるため、聖武天皇が頼ろうとしたのが仏教の力でした。
仏教によって国を守る考え方を「鎮護国家」といいます。
全国各地に国分寺や国分尼寺を建て、都の東大寺に大仏(盧舎那仏)を作らせたのも、すべては国を守ろうという考えに基づいた行動でした。
ただ、こうした聖武天皇の仏教重視は、莫大な予算を仏教に投入するという結果を生みます。
そして、富と権力を得た僧侶たちは徐々に政治にまで口を出すようになります。
遷都を繰り返した
740年からおよそ5年間、聖武天皇は遷都を繰り返しました。
740年に起きた藤原広嗣の乱の最中に聖武天皇は美濃(岐阜県)や伊勢(三重県)方面に行幸。
その後、奈良の平城京に帰らず現在の京都府南部の恭仁京に遷都します。
それから大阪の難波宮、滋賀の紫香楽宮など遷都を繰り返しました。
しかし、その理由について『続日本紀』に記されていません。
そのため、彼の遷都の理由はいまだに謎が多いのです。
聖武天皇の奥さんってどんな人?
聖武天皇には4人の夫人がいたとされますが、もっとも有名なのは藤原不比等の娘である光明子です。
光明子は藤原四子のきょうだいで、四子の画策により皇族以外で初めて皇后の座に就きました。
藤原氏出身の女性が皇后になる前例がつくられ、以後、多くの藤原市出身の女性が皇后となりました。
光明子といえば、仏教を篤く信仰したことで知られています。
また、「慈悲」を実践したことでも知られています。
彼女の発案で救貧施設「悲田院」や医療施設「施薬院」がつくられました。
天武天皇や桓武天皇と何が違う?
彼らはどのように違うのでしょうか。
まず、彼ら3人の順番を覚えなければなりません。
つぎに、天武が飛鳥時代後半、聖武が奈良時代前半、桓武が奈良時代末から平安初期と覚えましょう。
そのうえで、彼らのやったことを覚えることをお勧めします。
単純暗記してしまうと、習ってしばらくたつと忘れてしまいがち。
しっかりと、順番を意識してから覚える方が高得点を取れますよ。
まとめ
今回は聖武天皇について取り上げました。
長屋王や藤原四子、橘諸兄に政権を担当させつつ、仏教によって国を守ろうと努めました。
また、彼の妻の光明子も聖武天皇と同じく仏教に帰依していました。
聖武天皇は二文字目に「武」がつく天武天皇や桓武天皇と混同しがちです。
テスト前にしっかりと見直しましょう。