海外から入るモノにかかる「関税」。
もしそのルールを自分の国で決められなかったら…?
日本の歴史に隠れた関税自主権の重要さを、分かりやすくお伝えします。

関税自主権とは何か
関税自主権とは、自分の国に入ってくる外国の商品にどれだけ関税をかけるかを、自国で決めることができる権利です。
これは主権国家として当然持つべき重要な権利ですが、明治時代の日本は日米修好通商条約によって関税を自由に決められない不平等条約を結ばされていました。
※主権国家
領土・国民・政治を自国の判断で独立して運営できる国家
そのため、外国の影響を強く受け、独自の経済政策がとれない状況が続いていたのです。
関税自主権がないと困ること
海外との貿易で関税を自分の国で決められないと、実はさまざまな不利益が生まれます。明治時代の日本もこの問題に長く苦しみました。では、どのような点で困るのでしょうか。
- 自国産業を守れない
- 国の税収を増やせない
自国産業を守れないという点です。関税を自由に決められないと、外国の安い商品が大量に流れ込み、国内の会社や産業が大きな打撃を受けてしまいます。
関税は国の大切な収入源ですが、税率を自由に設定できないと、国が必要とする財源を十分に確保できません。
産業を守れず税収も増やせないため、外国の行動に左右されやすくなり、主権国家として対等な外交ができなくなるのです。
アメリカのトランプ大統領は、自国産業を守るため、また関税による税収増を狙う意図を持っている可能性があります。
イギリスが関税自主権の改正に応じなかった理由
明治時代、日本が関税自主権の回復を求めても、イギリスはなかなか応じませんでした。その背景には、当時の国際情勢と経済的利益が大きく関わっていました。
- 日本市場での利益を維持したかった
- 日本の法制度に不安を感じていた
- 列強としての優位性を守りたかった
イギリスは急速に発展する日本市場で、自国の商品を有利に売り続けたいと考えていました。もし関税を日本が自由に決められるようになると、イギリス製品が高い関税をかけられ、販売が不利になる可能性があります。
日本の法制度や裁判制度がまだ十分に整っていないことへの不安もありました。さらに、当時の列強はアジアでの影響力を強く保つことを重視しており、日本に対しても自分たちの優位な立場を維持しようとしていたのです。
関税自主権を回復した外務大臣

関税自主権を回復したのは、明治時代の外務大臣・小村寿太郎です。小村は「ネズミ公使」というあだ名がつけられた人物で、小柄な容姿でした。
しかし、高い外交能力を持つ外交官で、各国との交渉に粘り強く取り組み、日本の国際的な立場を向上させることに力を尽くしました。
1911年、小村は日英通商航海条約の改正に成功し、日本が自分で関税を決められる権利を取り戻します。この成果によって不平等条約の最後の問題が解決され、日本はようやく条約改正を完全に成し遂げ、主権国家として対等な立場に立てるようになったのです。
まとめ
関税自主権は、国が自分で関税を決める大切な権利です。これを失うと産業や税収で不利になり、外交面でも対等にふるまえませんでした。
日本はイギリスなどの反対に苦しみましたが、小村寿太郎の努力により関税自主権を回復し、不平等条約を解消して主権国家としての立場を取り戻したのです。