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問屋、問丸、馬借、問屋場、いったい何が違う?わかりやすく解説!

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日本史の問題で困るのは、似たような用語の区別です。

鎌倉時代から江戸時代にかけての運送業者としてよく登場する問(問丸)や馬借、問屋の違い、江戸時代に登場する問屋場と問屋の違い、廻船問屋に関する用語は混ざりやすく、間違う生徒が多かったと記憶しています。

今回は出題ポイントや問(問丸)・馬借・問屋の違い、問屋と問屋場の違い、廻船問屋や江戸時代の海運にまつわる用語についてまとめます。

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出題されるポイント

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大学共通テストにおいて、似た意味の言葉の区別は頻出事項です。

二文正誤であれ、四択問題であれ、出題ポイントは似通っています。

これから3つの出題ポイントをまとめます。

時代を問われる

1つ目の出題ポイントは時代です。

問丸・馬借という言葉は鎌倉時代室町時代の用語です。

一方、問屋は室町時代から江戸時代にかけて、問屋場・廻船問屋・東廻り航路・西廻り航路といった用語は江戸時代にもちいられました。

まぎらわしい用語が出てきたら、必ず、どの時代の言葉かチェックしておきましょう。

内容を問われる

2つ目の出題ポイントは内容です。

問丸は、河口や港湾などで総合的な運送業務を担っていたのに対し、馬借・車借は基本的に陸上輸送を担当します。

「馬借は河口や港湾で総合的運送業務を担った」とあれば誤文になるので注意しましょう。

後ほど詳しく述べますが、問丸と問屋、問屋場は見た目が似ているためしばしば正誤問題の材料で使われます。

一つひとつの内容をしっかり理解して問題を解きましょう。

問(問丸)・馬借・問屋の区別

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問(問丸)とは

活躍したのは平安時代末期から中世(鎌倉時代室町時代にかけて。

港や都市など交通の重要拠点に居住

物資の運送・保管・販売を担当しました。

平安時代末期に淀川流域で生まれたとされ、鎌倉時代には荘園領主と結びつき年貢米の輸送などにかかわります。

鎌倉時代末期には運ぶだけではなく物資の販売もするようになりました。

商品流通が盛んになると事業を拡大し、年貢以外も扱う総合運送業に成長します。

中世後期(室町時代)には塩・魚・紙・材木など商品ごとに専門化し、流通や販売を独占するようになります。

問(問丸)の一部は問屋に発展しました。

馬借とは

https://image.tnm.jp/image/1024/C0019204.jpg

出典:東京国立博物館

活躍したのは中世から近世(江戸時代)

水陸交通の接点や街道沿いの地を拠点としました。

馬の背に荷物を載せて運搬した運送業で、船で運ばれてきた物資を京都・奈良などの消費地に運びました。

室町時代には寺社の下で座(同業者組合)のような組織を作り、交通路の利権を独占するものもあらわれます。

交通網を掌握していたため情報を得やすく、しばしば、土一揆の先鋒として活動しました。

土一揆について知りたい人は、こちらの記事を見てください。

kiboriguma.hatenadiary.jp

車借とは

活躍したのは中世から近世

交通の要衝を拠点としましたが、活動は道路が整備されていた畿内や鎌倉の周辺に限られました。

荷車を使った運送業者で、荷物を運ぶだけではなく商業活動も行いました。

問屋とは(といや・とんや)

活躍したのは江戸時代

倉庫業と兼務することが多く、生産者や荷主と仲買・小売商人の売買を仲介する商人のこと。

江戸時代の問屋は3種類に分けられます。

荷受問屋

自己資金で取引せず、荷主から預かった商品を保管・販売し、手数料を受け取る

江戸十組問屋大坂二十四組問屋も荷受問屋に含まれます。

仕入問屋

自己資金で商品を購入し、仲買や小売商人に卸売りをする。

廻船問屋

海上輸送を請け負う問屋のこと。

 

問屋と問屋場は何が違う?

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問屋は商品の流通や売買にかかわる組織で、商人と考えるとよいでしょう。

一方の問屋場は江戸時代に伝馬継立を行う施設のことです。

※伝馬は街道の各宿で常備された公用馬のこと。必要な人員や経費は宿が負担しました。

名前は似ていても両者は別物ですので注意しましょう。

廻船問屋(かいせんどいや)とは?

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廻船問屋は船問屋とも言います。

船主のために積み荷を集めたり、船主と契約を結んで自ら積み荷を運んだりしました。

大都市や拠点となる重要な港に成立し、海上交通の重要な担い手として活躍しました。

廻船問屋が活躍した江戸時代の海の道

廻船問屋は江戸時代の海の主役といってもよい存在です。

彼らが行き来した航路は江戸時代の経済を支える大動脈として機能しました。

ここからは江戸時代の海の道を4つ紹介します。

東廻り航路

1つ目は東廻り航路です。

開拓したのは江戸時代前期の豪商河村瑞賢です。

日本海側の出羽国酒田(山形県酒田市)から津軽海峡三陸沖・房総半島沖を経て江戸湾に達するルートです。

このルートの開拓により、東北地方の米(奥州米)が消費地である江戸にもたらされました。

西廻り航路

2つ目は西廻り航路です。

東廻航路と同じく河村瑞賢が開拓した航路です。

酒田を起点とし、北陸沖・山陰沖から下関を経て、瀬戸内海・大阪湾へと向かうルートです。

古代から発達していた琵琶湖を利用したルートにかわり、蝦夷地や北陸地方京阪神地方をつなぐ輸送ルートが生まれます。

南海路:菱垣廻船・樽廻船

3つ目は南海路です。

南海路は大阪と江戸を結ぶ定期航路で、菱垣廻船樽廻船が就航していました。

当時、畿内は手工業などの産業が発達していたため商品の生産が盛んでした。

その一方、江戸は幕府が開かれ、参勤交代などで武士人口が増大したことから一大消費地として成長していました。

大阪方面(上方)からの物資は下りものと呼ばれ江戸で盛んに消費されます。

菱垣廻船
物流博物館

江戸時代初期に南海路で活躍したのが菱垣廻船でした。

江戸十組問屋と手を結んで大量の物資を大阪から江戸に運びこみました。

しかし、のちには樽廻船に押されるようになりました。

樽廻船の主な積み荷は酒や雑貨ですが、船足の速さで菱垣廻船より有利に立ちます

北前船

江戸時代後期から明治時代前期に活動した買積廻船集団のこと。

蝦夷松前に進出した近江商人にやとわれ、越前敦賀松前を往復したのが始まりです。

近江商人の商売哲学について知りたい人は、こちらの記事もどうぞ。

kiboriguma.hatenadiary.jp

江戸時代中期の宝暦・天明期に独立した商人が現れ、松前日本海各地・瀬戸内海・上方の市場をつなげ、価格差で利益を上げました。

松前藩について知りたい人は、こちらの記事もどうぞ

kiboriguma.hatenadiary.jp

高田屋嘉兵衛
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北前船で富を築いたのが高田屋嘉兵衛です。

高田屋嘉兵衛は淡路島出身の商人で、蝦夷地・箱館に進出しました。

国後島択捉島の航路を開拓し、漁場の運営や廻船業で巨利を得ました。

そして、その財産を箱館の街に投資し、箱館発展の礎を築いたと評価されます。

高田屋嘉兵衛が深くかかわったのが北前船でした。

嘉兵衛は兵庫で仕入れた酒や塩、木綿といった物資を山形県の酒田に運び、酒田の米を箱館で販売することで利益を上げます。

帰路は箱館で魚や昆布、魚肥を仕入れて上方(京大坂方面)で販売しました。

彼の活躍を描いた司馬遼太郎の小説が『菜の花の沖』です。

当時の北前船の様子や彼がロシアに抑留されているときの様子などがよくわかる小説です。

現在まで続く北方領土問題やロシアとの付き合い方についてもうかがい知ることができる良書ではないでしょうか。

まとめ

今回は問丸、問屋、馬借、問屋場など経済史で登場するまぎらわしい言葉を中心に整理しました。

日本史は暗記が中心ですが、単純暗記だけだと似た意味の言葉が出てきたら迷ってしまうかもしれません。

テストや受験の前に、似た言葉を整理することで得点を一気に上げることができるので、しっかり復習しておくことを勧めます。

 

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