「足利義輝とは?」
「足利義輝が登場するゲームは?」
「足利義輝の壮絶な最期とは?」
このページをご覧の皆さんはそんな疑問を持っているかもしれません。
幼名は菊幢丸(きくどうまる)、元服の時には義藤となのります。
のち、よく知られている義輝に改名しました。
義輝は剣豪塚原卜伝の弟子として知られます。
名門足利家の当主だけあり、数多くの名刀を所持したことでも知られました。
また、義輝は壮絶な最期を遂げた人物で、とても悲劇的な最期を遂げます。
今回は足利義輝の生涯や登場するゲームや舞台、大河ドラマ『麒麟がくる』での役どころ、壮絶な最期などについてまとめます。
足利義輝とは?
1536年、足利義輝は12代将軍義晴の嫡男として誕生しました。
このころ、義晴は管領の細川家と対立関係にあり、しばしば京都を脱出していました。
嫡男である義輝もこれにしたがって流浪の生活を送ります。
1546年、元服の儀式を終えるとすぐに室町幕府13代征夷大将軍に任じられました。
義晴の死後、将軍として活動しようとしましたが、畿内最大の実力者である三好長慶と10年にわたって戦う羽目になります。
なんとか、三好長慶を取り込むことに成功しましたが、三好が病没すると彼の家臣だった松永久秀や三好三人衆と対立します。
そして、1565年6月17日に松永久秀や三好三人衆に二条御所を襲撃され殺害されました。
彼の壮絶な最期はルイス・フロイスをはじめ、多くの人物が後世に伝えています。
剣の師は塚原卜伝
義輝は剣豪として知られた塚原卜伝の弟子として知られます。
塚原卜伝は鹿島神宮の神官の一族で天真正伝香取神道流を極め、自らの流派である鹿島新當流を開きました。
義輝がいつ卜伝に弟子入りしたかは定かでありません。
また、本当に免許皆伝クラスの腕だったのかもわかりません。
しかし、彼が死ぬ間際に奮戦したことは確かですので、何らかの剣の心得があったのは間違いないのではないでしょうか。
『麒麟がくる』での義輝とは?
明智光秀と接触
ドラマでは、足利義輝は家臣の三淵藤英を通じて明智光秀と出会っています。
実際、義輝と光秀がであったかどうかは定かではありません。
その理由は、光秀の信長と出会う前の前半生がよくわかっていないからです。
実際、光秀が足利家の家臣として行動するのは義輝の死後で、義輝の弟である足利義昭と織田信長をひきあわせました。
ただ、当時の京都は様々な人々が行き交う街だったので、何らかの接触があってもおかしくありません。
そうしたことを背景に、義輝と光秀の出会いの場面が設定されたのではないでしょうか。
義輝の志は弟義昭が継ぐ
義輝が永禄の変で三好三人衆や松永久秀によって殺害された時、出家していた弟の覚慶は興福寺に幽閉されました。
これを知った義輝の側近たちは覚慶を救出し奈良を脱出します。
覚慶は還俗して足利義昭と名乗りました。
その後、義昭は越前の朝倉氏を頼ります。
しかし、朝倉氏は上洛に消極的で、義昭一行はあらたなスポンサーを探しました。
そこで彼らが目を付けたのが新興勢力の織田信長です。
美濃を平定した信長は義昭らを迎え入れ、さっそく上洛を果たしました。
義昭は義輝の夢である室町幕府再興を成し遂げたかに見えました。
ところが、義昭はスポンサーとなった信長と対立。
最終的に信長は義昭を追放し、室町幕府を滅ぼしてしまいました。
義輝の壮絶な最期とは?
諸説ある死にざま
足利義輝が三好三人衆や松永久秀に討たれた事件を永禄の変といいます。
宣教師ルイス・フロイスは『日本史』の中で義輝の最期について触れています。
それによれば、義輝は薙刀をふるって戦い、接近戦になると刀を抜いて敵兵と戦いました。
信長の伝記として有名な太田牛一の『信長公記』では、将軍自らが奮戦する様子を書き記します。
また、江戸時代後期の歴史家の頼山陽は、義輝が所蔵の名刀を畳に突き刺し、刃こぼれするたびに新しい刀を手に取って戦ったと書きます。
どの逸話をとっても、義輝自らが奮戦したことは間違いないようですね。
辞世の句とその意味とは?
義輝の辞世の句は
「五月雨は つゆか涙か 時鳥(ほとどきす) わが名をあげよ 雲の上まで」
というものです。
永禄の変は旧暦の5月19日でした。
5月に降る五月雨は、雨なのか、それとも涙なのだろうか。
ホトトギスよ、私の名前を空高く響かせてくれ。
30歳で、志半ばで斃れる義輝の無念の思いと、せめて名前だけでも後世に残したいという熱い気持ちが伝わってくる辞世の句です。
まとめ
いかがでしたか?
義輝は塚原卜伝の弟子で、剣豪の誉れ高い人物です。
そのため、彼は戦国時代を題材としたゲームや舞台にたびたび登場するようになりました。
また、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では向井理が演じ、志高い青年将軍として描かれます。
さらに、義輝は壮絶な最期を迎えた人物としても知られました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。