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『徒然草』より、「あだし野の露消ゆるときなく」。本文、現代語訳と京都三大風葬地

徒然草』の「あだし野の露消ゆるときなく」の訳が知りたい!

無常観って何?

京都の三大風葬地とは?

 

このページをご覧の皆さんはそんなことをお考えかもしれません。

 

「あだし野の露消ゆるときなく」は『徒然草』の一節で、人の世のはかなさや無常観について吉田兼好が語っている部分です。

 

徒然草は』冒頭分の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず」という言葉が有名ですが、今回取り上げる「あだしのの露消ゆるときなく」も非常に有名ですね。

 

現代に比べ、死が身近だった鎌倉時代。中でも、吉田兼好が『徒然草』で取り上げた「あだしの」や「鳥辺山」は、古くから京都の墓所として有名な場所でした。

 

今回は、「あだしの露消ゆるときなく」をとりあげ、本文や現代語訳、京都の三大風葬地について紹介します。

 

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<a href="https://www.photo-ac.com/profile/632078">IORI</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

 

「あだし野の露消ゆるときなく」の本文と現代語訳

 

あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。

世は定めなきこそいみじけれ。

 

化野の露は消える時がなく、鳥辺山から立ち上る煙は立ち去らないでいるように、人が死なずに住み続けるならば、どうして、もののあわれがあるだろうか。(いや、ない)。

世の中は永遠ではない(無常だ)からこそ趣深いのだ。

 

 

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。

かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。

つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。

 

命があるものの中で、人間ほど長生きなものはない。

カゲロウならば夕べを待たず、セミならば春や秋を待つことなく死んでしまうというのに。

しみじみと一年を過ごす人間は、こよなくのどかなものではないか。

 

 

飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、何かはせん。

命長ければ辱多し。

長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

 

人生に満足せず、生きていること(時間が過ぎること)を惜しいと思えば、千年過ごしたとしても、一夜の夢のように感じるだろう。

いつまでも生きて住み続けることができないこの世で、醜い姿になっていったいどうしようというのか。

長くても、40前に死んでしまうほうが、みっともなくなくてよい。

 

 

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交じらはんことを思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

 

40歳を過ぎてしまえば、自分の外見を恥じる心もなくなり、世の中に出て人と交わろと思い、夕日のように先の短い身でありながら、子孫を愛し、子孫が栄えるのを見るまで生きることを期待し、ひたすら世の中で生きることをむさぼる心だけが深くなってしまうと、もののあわれもわからなくなって、全く嘆かわしい存在となるのだ。

 

作品中に現れる「無常観」

平安時代から鎌倉時代の日本は、今よりも政情が不安定で、いつ死んでもおかしくないと言えば大げさですが、今よりも死が身近に感じられる時代でした。

 

世の中は常に移り変わり変化するという「諸行無常」を日々実感する生活だったかもしれません。

 

世の中には永遠のものなどない。だからこそ、趣深いという逆説的な考えは、仏教思想と結びつき、当時の知識人たちの心をとらえたのでしょう。

 

桜は散るから美しく、雪は融けるからはかなく、生きているものはいつか死ぬからこそ、生きている時間が大事なのだと主張している感じですね。

 

京都の三大葬送地

 

平安京が遷都して以来、1000年にわたって都が置かれた京都は多くの人の死を見てきた町でもあります。

 

平安時代に京都で亡くなった人は、化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野のどこかに遺体が放置されました。

 

庶民の多くが風葬とされたのは、火葬する薪代が捻出できなっかためでもあります。

 

化野(あだしの)

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京都の西にある嵯峨・嵐山方面にある小倉山

この山のふもとが「化野」です。

 

あだしというのは、違う、はかない、変わりやすいといった意味の古語。

あだしのは、はかない野という意味で、はかなくなった人、すなわち死者の野という意味でしょう。

 

古くは風葬地、江戸時代以降は火葬地として知られていました。

化野には化野念仏寺という浄土宗の寺があります。

弘法大師空海が野ざらしになっていた風葬遺体を埋葬したのが念仏寺の始まりでした。

 

現在、念仏寺の境内にある8000を超える石仏・石塔は、明治時代に周辺から掘り起こされ集められたものです。

石仏などが並ぶ西院の河原は、あたかも、あの世の光景のようにすら感じられますね。

 

鳥辺野(とりべの)

 

鳥辺野は、化野とことなり、明確な地域指定はありません。

しいて言えば、清水寺などがある京都東山周辺です。

 

鳥辺野は平安時代からの風葬地で、『徒然草』や『源氏物語』にも登場します。

有名な割に、場所が特定されていないというのは意外ですね。

 

蓮台野(れんだいの)

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京都の北部の風葬地が蓮台野です。

平安京朱雀大路の延長線上にある場所で、古代からの葬送地である船岡山に通じる途中にありました。

 

蓮台野の入り口にあるのが引接寺(いんじょうじ)

引接とは、仏が民衆(衆生)を極楽に往生させること。

引接寺とは、いわば、あの世の入り口の寺という意味になりますね。

 

引接寺の別名は「千本ゑんま堂」。

地獄の裁判官である閻魔大王の像が祭られていることから、そうよばれます。

親たちは閻魔像の前で子供らに、「悪いことはするな」「うそはつくな」などと教え諭すのが通例となっていました。

 

さいごに

 

昨今、昔に比べると死亡率が低下し、長寿になった日本人は、死と直面する機会が減少しました。

 

2020年の新型コロナウイルスの流行は、私達に思いもよらず、死というものを思い起こさせる機会になっているかもしれません。

 

諸行無常、いつ、今の平穏な生活が打ち切られ、病との闘いが始まるとも限りません。病魔が去り、平穏を取り戻した暁には、今の生活をもっと大事にしたいと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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