伝説上の生き物である「龍」は、ファンタジーやアニメの題材としておなじみの存在です。
中国では皇帝のシンボルとして取り扱われ、日本でも強大な力を持った存在として語り継がれてきました。
龍にまつわる故事成語の一つに「逆鱗(げきりん)に触れる」があります。
今回は「逆鱗に触れる」の意味やこの言葉の出典である『韓非子』の著者である韓非の生涯、『韓非子』の原文や訳などについてわかりやすく解説します。
「逆鱗に触れる」とは
「逆鱗に触れる」の意味
故事成語「逆鱗の触れる」の意味は以下のとおりです。
帝王の怒りをうける。また、目上の人などの気持にさからって怒りを買う。はげしく叱られる。
出典:精選版 日本国語大辞典
龍は高貴なものであることから、帝王や目上の人の象徴として扱われ、龍の怒りを買う、すなわち、目上の人の怒りを買うという意味になったのでしょう。
「逆鱗に触れる」の類義語
逆鱗に触れるの意味は目上の人を怒らせることで、似た言葉に「不興を買う」というものがあります。
不興とは目上の人の機嫌を損なうことで、不興を買うや不興を招くといった使われ方をします。
単に不興だけで使うこともあり、その場合は目上の人の怒りに触れて何らかの咎めや勘当を受けることを意味します。
目上に人に叱られる、機嫌を損ねると理解しておけばよいでしょう。
「逆鱗に触れる」と「琴線に触れる」は別の意味
逆鱗に触れると同じように”触れる”という言葉を含むため、「琴線に触れる」が似た意味と誤解されることがあります。
琴線に触れるの意味は以下のとおりです。
良いものや、素晴らしいものに触れて感銘を受けること
出典:デジタル大辞泉
琴線は感動しやすい心を楽器の琴の糸にたとえたものであり、感動や共鳴を与えることを意味します。
逆鱗に触れるとは全く別な意味ですので注意しましょう。
「逆鱗に触れる」の例文
主人公は王様の逆鱗に触れて国を追放された。
課長は部下に対する嫌がらせが発覚し、社長の逆鱗に触れて懲戒処分となった。
『韓非子』はどんな本?著者の韓非はどんな人?
「逆鱗に触れる」は中国の春秋戦国時代に生きた思想家である韓非が書いた『韓非子』に登場するエピソードです。
ここでは韓非の生涯や『韓非子』で逆鱗に触れるをあつかった理由、韓非子と秦王政の出会いや死についてまとめます。
韓非の生涯
韓非は古代中国の戦国時代に生きた思想家です。
性悪説で有名な荀子の弟子で、法による国家統治を解いた人物で法家の思想家の一人として有名です。
戦国時代に合った7つの国である「戦国の七雄」の一国であった韓の国の公子でした。
韓非の祖国である韓は七雄の中で最も弱く、隣国の秦の属国に近い状態にありました。
韓非は秦による韓の併合を阻止する使者として秦の都である咸陽に赴き、秦王政(のちの始皇帝)と運命的な出会いをします。
韓非に会う前、秦王政は韓非の著作を読んでいたと思われ、韓非を秦にスカウトしようとしました。
しかし、秦の宰相だった李斯が韓非の才能を恐れて王に讒言を行い、韓非を牢獄につなぐよう画策します。
結局、韓非は李斯の策略にはまり牢の中で自害してしまいました。
『史記』の著者である司馬遷は、「君主を説得することの難しさを説いた”説難”を説いた韓非でも自らの命を助けられなかったのは悲しいことだ」と述べています。
『韓非子』はどんな書物?
『韓非子』は戦国時代に法家の思想家である韓非が書いた本です。
法家とは、法律による厳格な支配を行って君主の力を強化し、富国強兵を目指す政治思想のことです。
法家の代表的な人物として商鞅と韓非があげられますが、商鞅は秦王政よりも前の時代に秦の力を強化した宰相として有名です。
下剋上が盛んだった戦国時代は、家臣による国の乗っ取りも少なくありませんでした。
晋は有力な重臣によって国が3分割されて韓・魏・趙の3国になり、斉は重臣の田氏に国主の座を取られています。
韓非は国の力を君主の下で一本化することにより国力強化を図るべきと考えて『韓非子』を著しました。
韓非子を読んで感動したのが秦王政です。
秦王政は『韓非子』の中の「孤憤篇(こふんへん)」と「五蠹篇(ごとへん)」に感銘を受けたといわれます。
君主が意識すべきことを徹底的に解いている点で、西洋のマキャベリと似ているとされています。
『韓非子』もマキャベリの代表的著作の君主論も日本語訳が数多く出版されていますので、機会があれば読んでみることをおすすめします。
「逆鱗に触れる」は『韓非子』のどの部分?
逆鱗に触れるの出典は『韓非子』の「説難篇(ぜいなんへん)」です。
説難のテーマは君主への進言の難しさで、部下が自分の意見を上司に進言するのは現代でも難しいためとても参考になります。
「説難篇」の大まかな内容は以下のとおりです。
昔、衛という国に霊公という君主がいて、イケメンの部下である彌子瑕(びしか)を寵愛していました。
衛には王の馬車に勝手に乗ったものは足を切られるという法律がありました。
あるとき、彌子瑕は母親が危篤であるという知らせを聞き、無断で王の馬車を使いましたが王は親孝行であるといって許しました。
また別の時に、彌子瑕は霊公のお供で桃園を訪れた時に、自分が食べた桃の半分を霊公に食べさせました。
霊公は自分のことを愛しているからこそ、桃を自分に食べさせてくれたのだといって、これも肯定的に受け取りました。
しかし、彌子瑕が年を取って霊公のお気に入りではなくなったとき、霊公は「彌子瑕は自分をだまして車を使い、食べかけの桃を食わせた悪党だ」と非難しました。
韓非は霊公と彌子瑕の関係を例に挙げ、主君に愛されていればどのような策でも受け入れられるが、憎まれればどのような策を提案しても拒絶されると述べます。
そして、「逆鱗」の由来となる龍のたとえ話につながるのです。
「嬰逆鱗に触る」の本文
夫龍之爲蟲也、柔可狎而騎也。
夫(そ)れ龍の虫たるや、柔なるときは狎らして騎るべきなり。
そもそも龍という生き物は、従順な性格であるため飼いならして乗るこことができます。
然其喉下有逆鱗徑尺。
然れども其の喉の下に逆鱗の径尺なる有り。
しかし、龍の喉もとには長さが一尺くらいの逆さに生えた鱗(逆鱗)があります。
※一尺は約30cm
若人有嬰之者、則必殺人。
若(も)し人之に嬰(ふ)るる者有あらば、則ち必ず人を殺す。
もし、逆鱗に触れる人がいれば(いつもは温厚な龍であっても)必ず人を殺します。
人主亦有逆鱗。
人主(じんしゅ)も亦た逆鱗有り。
君主にも逆鱗があります。
説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。
説く者能(よ)く人主の逆鱗に嬰るること無くんば、即ち幾(ちか)し。
君主に(何かの策を)説く者は、逆鱗に触れることがないならば(説得の成功に)近いといえます。
龍というのはとても温厚で飼いならせば乗ることさえできますが、逆鱗という約30cmの逆さまのうろこを触ると怒り、触った人を殺してしまいます。
逆鱗と同じものが君主にもあり、そこを触ってしまうと説得するのはとても難しいでしょう。
だから、逆鱗に触れないように説得することができれば君主説得の可能性が高くなると韓非は説いたのです。
戦国時代のエピソードでは、たとえ話の後に結論がくるという構成が多くみられますので、漢文を読むときの一つのパターンとして覚えておくとよいでしょう。
まとめ
今回は『韓非子』の有名なエピソードである「逆鱗に触れる」を紹介しました。
逆鱗は君主に限ったものではなく、誰しも持っている「触れられたくない部分」なのかもしれません。
人と話すときは、相手の触れてほしくないことをよく考えて対応することが重要であり、そうすることで人間関係がうまくいくのかもしれません。