歴史はアレンジを加えながら繰り返す

こんにちは。お久しぶりの木彫りグマです。

本業が忙しく、なかなか更新できませんでした。今回で20記事目になります。

だからといって、何か記念のものがあるわけではありませんが(笑)

 

先日、カナダでファーウェイ(華為)の副会長兼最高財務責任者CFO)が逮捕される事件がありましたね。それから、アメリカ・カナダと中国の対立が激しくなりました。

そのニュースを見ながら、90年近く前にも似たようなことがあったなあと思いました。

 

1920年代 黄金の20年代

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1920年代、アメリカは空前の繁栄の中にいました。

 

第一次世界大戦の勝利と大量生産・大量消費の発展により、空前の好景気でした。

物を作れば、片っ端から売れるといってもいいくらいです。仕事がたくさんあり、街には活気がみなぎっていました。

株価は空前の高値を付け、靴磨きの少年まで株に投資していたといいます。

 

当時の共和党の大統領たち(ハーディングやクーリッジ)は富裕層向けの減税を実施し、お金持ちがたくさんお金を使うことで景気を良くしようと考えていました。

余ったお金はアメリカから世界各地に移動し、各国に投資されました。

 

また、クーリッジ大統領の時代には移民の制限も行われています。

これらの状況は、今のトランプ政権にも似た側面がありますね。

 

1929年 世界恐慌

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永遠に続くかに思われた好景気は、突然終わりを告げます。

きっかけは、イギリスの金利が上昇したことでした。

景気が良くなり、お金がたくさん出回るようになるとモノの値段が上がってしまいます。それがインフレです。

 

日本銀行アメリカの中央銀行にあたる連邦準備制度理事会FRB)はお札が増えすぎてインフレになりすぎないよう、お金を管理する責任があります。

 

お金が増えすぎると中央銀行

「やばい、お金増えすぎた!利子を高くしてお金を借りにくくしよう!」

と考えて金利をあげます。

 

すると株を買っている人たちは

「お金が借りにくいと企業はお金を集めにくく、成長しにくくなる。企業の力が弱くなりそうだから、株は売ってしまおう」

と考えて株を売ります。

 

金利が上がるとほとんどの場合、株価が下がるのはこのためです。

(ほんとうは、もっと詳しい説明が必要なのですがあえて雑に書いています)

 

アメリカにお金を置いておくよりイギリスにお金を預けたほうが利子が高くなる、そう考えた投資家たちはアメリカの株を売り始めました。

 

株価の下落に勢いがつくと、皆、自分だけは助かろうと必死に株を売ります。

結果、どんどん株が落ちていきます。

株価はわずか1週間で半額にまで下落しました。

 

投資家たちはパニックに陥り、世界各地に投資していたお金を引き上げて損失を埋めようとしたのです。こうして、恐慌は世界に広がりました。

 

1930年代 保護貿易と自国中心主義

 

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世界恐慌が始まると多くの会社が倒産して失業者が街にあふれました。

失業した人はお金がないので、失業者が増加するとモノが売れなくなります。

モノが売れないと給料は上がりませんし、会社がつぶれるかもしれません。

その結果、さらに失業者が増えていきました。

 

世界各国は失業者に仕事を与えるために様々な政策を実行しました。

アメリカやドイツでは公共事業をたくさん行いました。

 

中学校の頃にならったアメリカのニューディール政策ヒトラーが実施した高速道路(アウトバーン)建設は国が仕事を作るやり方です。日本でも、平成不況の時に公共事業をたくさんやりました。

 

イギリスやフランスは自分の国や植民地に外国製品を入れないよう、関税高くしました。これをブロック経済といいます。

 

国内市場が大きいアメリカや植民地が大きいイギリスやフランスは外国を排除することで自国の経済立て直しをしようとしました。

 

一方、ドイツや日本、イタリアは植民地が小さく自国の経済もそれほど大きくありません。これらの国は「世界の再分割」を要求しアメリカやイギリス・フランスと対立します。

その結果、第二次世界大戦に繋がってしまいました。

まとめ

90年前と全く同じことが起きるとは思いませんが、歴史は形を変えて、アレンジを加えて繰り返します。

科学技術が進歩しても、人間という生き物の本質が変わらないからかもしれません。

 

最近のアメリカと中国の対立は、互いに「自国優先」を掲げているからこそ退くに引けないという面があると思います。

 

しかし、ある程度のところで妥協しなければ90年前のように戦争になってしまう可能性もあります。

そうなれば、一般の日本人にとっても「他人事」では済まなくなります。

 

ニュースや世の中の動きを「他人事」だと思わず、関心をもって注目するべきでしょう。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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日本の税の歴史 今と昔はこんなに違う

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こんにちは。木彫りグマです。

 

最近、消費増税に関するニュースが増えてきましたね。

ポイントで還元するとか、住宅ローンを減税するとか、いろいろと話題が多いですよね。

消費税が導入されたのは1989年。そう、平成元年です。

30年かけて税率が3%から10%にあげられようとしています。

税金の仕組みを見てみると、その国がどんな状態なのかが見えてきます。

今回は、明治以後の日本の税の歴史を振り返ってみたいと思います。

 

明治時代 地租~税は土地からとるものだった~

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江戸幕府を倒した明治新政府は財源の確保に苦労していました。

当時の日本は欧米からはるかに遅れた発展途上国で産業を発展させ、軍事力を強めるためにたくさんのお金が必要でした。

 

ところが、江戸時代の税は現物。米をおさめることが納税の中心でした。

現物は毎年取れ高が異なるので税収が安定しません

しかも、現金と異なり現物の値段は変化します。これでは、予算を立てて国を運用することができません。

 

もし、皆さんの給料が米などで支払われ、現金にするためには米屋さんなどで米を引き取ってもらわなければならないとしたらどうでしょう?

ものすごく不便ですよね。

明治政府も「不便だなぁ。直接現金をgetできないかなぁ」と悩んだわけです。

それでつくられた税金が「地租」です。

 

小中学校で暗記させられませんでしたか?

「土地の所有者は地価の3%を地租として現金で支払わなければならない」。あれです。

あれは、農民から現金をgetするために政府が決めたルールなんです。

 

こうして、安定した現金を手に入れた明治政府は「殖産興業」という産業を盛んにする政策を実施します。

農民から得られた現金をもとに海外から人材を招き、お雇い外国人を日本に呼び寄せました。

北海道大学に招かれたクラークもその一人です。

 

明治時代~大正時代 酒税

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税金を取られるのは誰しも嫌なことでしょう。

しかし、日々の生活に必要なものにかけられる税金は嫌でも納めなければなりません。

その代表例が酒税でした。

 

お酒を飲まない人にとってはともかく、飲む人にとってはなかなか懐に厳しい税金です。

戦前は酒税の割合が非常に高かったことで知られています。

1899年には、なんと、税金の中で最も大きな割合となっていました。

 

娯楽が少ない時代、一般の人々にとって酒はとても重要なストレス発散の手段でした。

酒にかける税は確実に徴収できる貴重な財源だったのです。

 

ちなみに、現在の酒税は減少の一途をたどっています。

最近では若者の酒離れなどといわれていますが、今と昔は大分状況が違うようです。

まあ、手っ取り早く取れるところからとるというのは今も昔も変わりませんが(笑)

 

その後も、戦争などで戦費が必要になるたびに「醤油税」「砂糖税」などといった特定の品物に課税するなどの新税がつくられ、税の仕組みが複雑になっていきました。

 

昭和時代 シャウプ税制 所得税中心に

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第二次世界大戦後、日本はGHQの占領統治下に置かれました。

あのマッカーサーの時代です。

GHQは日本の税制改革を行うため、アメリカ本国から専門家集団を呼び寄せました。

た。その代表がシャウプです。

シャウプは「今(戦前)の税金の仕組みは複雑すぎ。もっと簡単にしようぜ!」と主張します。

「収入に応じて税金をかけ、儲かっている人ほど多くの税を払うようにすればいいじゃん。貧乏な人は税の負担を軽くしよう」とも考えました。

この考え方を累進課税といいます。

現在の最高所得税率は年収4000万円以上で、45%

仮想通貨で「億り人」になっても、半分近くは所得税で持っていかれます。(住民税を入れると55%)

たまに、ネット上でこのことを知らなかった人が税の支払いで大変な目にあったという体験談がでています。「億り人」になる機会があれば気を付けましょう(笑)

ただ、このやり方にも弱点はあります。

お金持ちからすれば、日本よりも所得税の安い国に逃げ出したくなりますよね。

特定の富裕層だけから税を取る仕組みは限界があるのです。

 

平成時代 消費税の導入

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昭和のころにも消費税導入の議論はありました。

中曽根内閣時代に提示された「売上税」です。

しかし、これは自民党内部からも反発を受けて実現しないまま廃案に終わりました。

 

1989年(平成元年)、竹下内閣はついに消費税導入に踏み切ります。

税率は売上税よりも低い3%。

しかし、国民の反発は強いものがありました。

結局、竹下内閣の支持率は低迷。リクルート事件の疑惑もあって総辞職に追い込まれます。竹下登はDAIGOさんのおじいさんとしても知られていますよね。

 

その後も橋本内閣時代に5%。野田内閣時代に8%増税が繰り返されました。

増税のたびに駆け込み需要と消費不振も繰り返されました。

 

さて、今回行われる2019年の消費税の場合はどうでしょうか。

駆け込み需要と消費不振は今回もおそらく起こるでしょう。問題はそのあとです。

増税の結果、日本が良くなるとみんなが思えば消費不振の影響も最小限にとどまるかもしれません。これが一番難しいところですね。

 

日露戦争当時、日本国民は多額の臨時増税と多数の戦死者に必死に耐えました。

ところが、戦後のポーツマス条約で賠償金をとることができず生活の苦しみは改善されませんでした。怒った国民が日比谷焼打ち事件を起こしたのも有名な話です。

戦争には勝ったものの、景気が回復するまでに20年かかりました。

 

今回、そうならないためにも政府には増税後の未来予想図の提示を期待したいものですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

器の大きさ大陸一! 漢の高祖 劉邦

こんにちは。木彫りグマです。

 

先日、日産自動車の会長だったカルロス=ゴーン氏が逮捕され、会長職を解任されましたね。ゴーン氏の功績や疑惑を今の段階で評価するのは少し早すぎる気がしますが、トップの在り方ということを少し考えさせられました。

 

今回は古代中国で漢王朝を建国した劉邦について書きたいと思います。

 

飲んだくれの田舎公務員

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今から2200年前の中国は「秦」の時代でした。

マンガ『キングダム』で取り上げられている秦王政が中国を統一して作った王朝です。

しかし、秦はその過酷な法律の支配から人々の恨みを買ってしまいました。

 

劉邦は田舎の農民の子です。

農民になるのが嫌で昼間から大酒を食らうような人でしたが、なぜから、人々の人気がありました。

劉邦が飲んでいることを聞きつけるや、周辺の人々が一緒に飲みたいと酒場に集まるので、劉邦が来る日は満員御礼。

そのため、劉邦の飲み代はタダになったといいます。

 

劉邦の仕事は田舎の警察署長です。

規模から考えると、派出所の駐在さんというほうが適切かもしれません。

そんな劉邦に、中央政府から「工事で働かせるための人を集め、工事現場まで連れてこい」という命令が下されます。

 

劉邦、反乱軍のボスになる

劉邦は命令に従って人々を引き連れます。

しかし、工事現場での過酷な労働を聞いていた人々は次々に脱走します。

秦の法律では期限に間に合わなかったり、規定の人数を集められなかった場合は責任者が処罰されることになっていました。

やけっぱちになった劉邦は自分も一緒に逃亡してしまいます。

 

ちょうどそのころ、陳勝呉広という農民たちも劉邦と同じように秦の支配から逃げ出します。彼らは逃げるだけではなく反乱軍を組織して秦と戦い始めました。

 

秦から派遣されていた沛県(劉邦が警察署長をしていた地域)の県令(県知事)は、反乱軍に攻め込まれることを恐れて劉邦と手を組もうとします。

しかし、土壇場になって県令は劉邦を城に入れることを拒否。劉邦を慕う人々は県令を殺害して劉邦を迎え入れました。

こうして劉邦沛県の反乱軍のボスとなります。

 

任せるときは徹底的に 劉邦人心掌握術

劉邦は、自分よりもすぐれていたり、相手の言うことが正しいと思うとすぐに取り入れる柔軟な人でした。

酈食其(れきいき)という儒学者が面会を求めてきたときのこと。劉邦儒学者が大嫌いだったので、礼を尽くさずに足をおつきの女性に洗わせながら面談しようとしました。

酈食其が「それが年長者に対する態度か!」と一括すると、はっとしてすぐに無礼を詫びて彼の意見に耳を傾けました。

その結果、攻め落とそうとしていた城を無傷で手に入れることができ、勢力を一気に拡大することができました。

 

劉邦は、いったん相手を信用するとほとんど丸投げといってもよいくらい任せてしまいます。

政治や経済のことは蕭何(しょうか)に、外交などについては張良に、謀略については陳平に、戦場での指揮は韓信にといった具合で任せてしまいます。

いったん任せると、劉邦はほとんど口を出しませんでした。

仕事を任された方からしてみれば、非常にやりやすかったと思います。

 

陳平が敵の分裂工作を実行した時、今でいう数億円単位の金を渡して「好きに使え」と言い切ったのが一番わかりやすい例でしょう。

 

現代ではコンプライアンスの問題などもありますから、全部丸投げというのはできないでしょう。

しかし、信用した以上は細かなことには口を出さないというのは上司の在り方として見習ってもよいのかなぁと思います。

 

「将に将たる」 ボスの心得

戦場で圧倒的な力を誇っていたのが劉邦のライバルとなる項羽でした。

直接対決で劉邦は一度として勝利することができません。

 

劉邦は戦場での指揮を韓信という天才指揮官に委ねました。

韓信は直接項羽と戦うことは避けつつも、巧妙に相手の力を削いでいきます。

背水の陣で数倍の敵を打ち破ったのがこの韓信でした。

結局、最後は韓信の指揮する大軍が項羽を打ち破りました。あの四面楚歌のもとになった戦いです。

 

戦いに勝利した後、韓信はあまりの戦争のうまさと持っている広大な領土のために皇帝となった劉邦におそれられました。

韓信は反乱を起こそうとしましたが、事前にバレて逮捕されます。

 

その時、劉邦韓信に「お前はあんなに戦いが上手だったのにどうして負けて捕まったのか?」と皮肉を言いました。

 

すると韓信は「戦場で兵隊を率いたら私の方が陛下より強いでしょう。ですが、陛下は有能な武将を思う存分働かせる能力を持っています。私が敗れたのも当然でしょう」と答えたといいます。

 

とかく、自分が優秀であると部下のやっていることが非効率に思えてあれこれと指示を出したくなります。

部下を育て、組織全体を強くするためには、時に丸投げにしたほうが良いのかもしれません。

ちなみに、韓信のように功績を立てすぎると組織の中では浮いてしまいます。

「狡兎死して走狗煮らる」の例えの通り、用が済んだら排除されてしまうことが多いようです。

果たして、今回のカルロス=ゴーン氏の場合はどうだったのでしょうか。

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天徳の歌合 壬生忠見と平兼盛の「初恋の歌」名勝負

こんにちは。木彫りグマです。

少ない文字数で自分の言いたいことをコンパクトにまとめるのはなかなか技術がいりますよね。

短文といえばツイッターですが、日本語では140文字。(今はもう少しかけるとも聞きますが)。ブログを読み書きしている人からすれば、あっという間にかけてしまうくらいの分量です。

日本には、ツイッターよりもはるかに短いわずか31文字で心情を表現する短歌があります。あまりに短いゆえに、言葉も表現も洗練されてきました。

今回は百人一首の中でも「恋の歌」として知られる二首を紹介します。

 天徳の歌合(天徳内裏歌合)

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時は今から1000年以上昔の天徳4(960)年。

時の帝である村上天皇が行わせた歌合せのことです。

歌のお題を1か月前に出し、左方・右方に分かれてどちらの歌がすぐれているかを決めていきました。

当時一流と目された歌人たちが、あらん限りの表現力を尽くして争った大イベントです。

準備の遅れなどから日暮れごろから始まった歌合は、終了後の管弦まで含めると翌朝まで続けられました。

全部で20のお題で競われましたが、もっとも有名なのは最後の20番、恋の歌の2首でした。

鎌倉時代に書かれた『沙石集』では「歌ゆえに命失ふ事」と題して、この最後の勝負の話をのせています。

初恋の歌2首

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先に歌を詠んだのは壬生忠見でした。

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

恋をしているという 私の名(評判)は 早くも広まってしまいました。人に知られないように 思っていたのに。

想い人に気持ちが、自分の行動によってばれてしまったことの気恥ずかしさが読み取れます。

恋になれ、数多くの人と浮名を流すような人ではなく、あくまでも初恋だということを考えると、忠見の表現力は卓越していると思います。

沙石集の中でも、「こんなにすごい歌に対して、平兼盛はどうやって返すことができるだろう。いや、さすがに無理ではないか」と評しています。

後攻の平兼盛

つつめども 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

包み隠していたけれど 表面(顔)に出てしまいました 私の心は。 この思いをする(誰かのことを思っている)のかと ほかの人が私に聞いてしまうくらいに(表面に出てしまっていた)

これもまた素晴らしい歌です。個人的には忠見の歌の方が、より内面をあらわしているように感じます。兼盛の歌はその点ストレートに「恋の色」を表に出しています。

どちらも素晴らしいので、判定役が困ってしまいました。

判定役が村上帝にどちらが良いかと訪ねると、村上帝が忠見の歌を2,3度読み、兼盛の歌を繰り返しお読みになりました。

これを聞いて判定役は「天皇の意思は兼盛の歌か」と”忖度”し、兼盛を勝者としました。

忠見、歌ゆえにを失う

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歌合せに負けた日から、忠見は病の床に臥せってしまいました。

食欲不振で食べ物が喉を通らないといいますから、ショックから一種の拒食症になってしまったのかもしれません。

食べ物を受け付けない忠見は日に日にやせ細っていきます。

心配したライバルの兼盛は忠見の見舞いに出かけました。

兼盛「だいじょうぶか?」

忠見「私の病は特別なものではありません。歌合の時、会心の名歌を出せたと思ったのに、あなたの『ものや思ふと 人の問ふまで』の歌を聞いて「あぁ」と思って驚いてしまって、それからは胸が塞がってしまいこのような重病になってしまいました。」と答えました。

それからしばらくして忠見はなくなってしまいます。

当時、壬生忠見は下級役人で、歌での出世を夢見ていました。

夢が破れてしまったこともショックだったのでしょうが、渾身の一作の「恋すてふ」の歌が敗れたことに歌詠みとしてのプライドがズタズタになってしまったのでしょう。

たった31文字に命を懸けた二人の歌人

名勝負の成果は百人一首に収録され、現代に残っています。

ブログを書いている以上、上手ではなくても魂のこもった文章を書きたいものですね。

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ペンギン歩き 冬道の歩き方

こんにちは。木彫りグマです。

すっかり街路樹の葉が落ちて晩秋から初冬の風景に変わってきましたね。

雨が降って、翌朝晴れた日などは路面が鏡のようにツルツル・ピカピカになってとても歩きにくいものです。

そんな時に有効なのがペンギン歩き。

今回は、冬に北国を旅行する方に向けて、冬道の歩き方についてお話したいと思います。

ペンギン歩き

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冬場に街中を歩いていると、旅行者と思われる方がまるでマンガのように「ひっくり返っている」様子を見ることがあります。

見るたびに「痛そうだなぁ。歩き方を工夫すればあそこまで転ばないのになぁ」と思ってしまいます。

転ぶ人を見ていると、歩幅が大きくどんどん歩いていく方が多いように感じます。

路面が凍結しているときは歩幅は小さめの方が良いです。

水族館でペンギンがちょこちょこと歩いているのに似ているのでペンギン歩きなどとも言います。

慌てず、急がずに、小さな歩幅で確実に前進しましょう。

靴の裏全体に体重を乗せる

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普段歩くとき、つま先に力を入れかかとから着地することが多いです。

この歩き方を雪道ですると、着地時の重心がかかとにかかるため、かかとが滑るとあお向けに転倒しがちです。これはとても危ない形です。

雪道を歩くときは重心を前に置き、できるだけ靴の裏全体で路面に接するように歩いたほうがいいです。

かく言う私自身も、ツルツル路面で転倒し後頭部を強打して救急車で運ばれた経験があります。

今思い出すと、重心は後ろによっていた気がします。

その状態だと、滑ってしまったときにリカバリーすることが難しいです。

もう片方の端で踏ん張ろうにも路面が凍結していると、そちらも滑ってしまいますから。

ということで、転倒を防ぐためには重心を前に置くべきでしょう。

手を自由にする

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 足元にどれだけ気を付けても、転ぶ時は転びます。

そんな時に大けがを避けるには受け身の体勢をとることが必要です。

片手、もしくは両手が塞がっていると受け身を取りにくいですから、リュックを背負うなどして荷物を手に持たないほうが良いでしょう。

観光客の人たちが両手にお土産を持って、ツルツル路面を大股で歩いているの見ると、さすがに少し心配になります。くれぐれも、頭だけは打たないようご用心を。

 

 

二宮金次郎 江戸のファイナンシャルプランナー

 

こんにちは。木彫りグマです。

今回取り上げるのは、かつて、どの学校にも銅像があったといってもよいくらいメジャーな存在だった「二宮金次郎」こと、二宮尊徳です。

若き日の二宮金次郎

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二宮尊徳は江戸時代末期の人物です。

14歳の時に父を亡くし、16歳の時に母もなくします。

二宮家の田畑は酒匂川の洪水で流出してしまい、文字通りの無一文となった金次郎は叔父に養われました。

金次郎は勉学に励んで家を復興させようとしますが、夜の明かり代を惜しんだ叔父により、夜の勉強を禁じられます。

金次郎は油のもととなるアブラナを土手に植え、自分で油を調達しました。

まあ、ここが普通の人と違うところでしょうね。否定されても邪魔されても、目的達成のためなら何でもするというところが垣間見れています。

また、田植えで捨てられた苗を用水堀で育てて、一俵分の収穫を得たといいます。一票といえば60kg。これも、金次郎の「お家再興」の元手となったのかもしれません。

叔父の家を出て親族の家に身を寄せて、元手を増やし続けました。次の年に5俵、その次の年に20俵とどんどん増やしました。

そして、ついに二十歳のときに家屋敷を再興することに成功します。

努力がすごいというのはよく言われますが、元手がほとんどない状態からお家再興を果たした点です。

金次郎はやればできるという根性論の人ではありません。合理的に、どうやれば少ない元手て成功できるかを徹底的に追求した人だと私は思います。

その点で、彼は現代の個人投資家が学ぶべき要素をたくさん持った偉人だと思うのです。

彼は農業収入だけを元手にした毛ではありませんでした。

幼少の時に薪を売ったり、草鞋を編んだりするなどのアルバイトで現金を稼いでいます。百姓でありながら、商業的な視点も持ち合わせていました。

二宮金次郎による服部家財政再建

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金次郎の職業を、現代に当てはめると「ファイナンシャルプランナー」ではないかなと思います。

はじめに、小田原藩の家老であった服部家の財政再建に取り組みます。

彼は、5年改革で再建を請け負いました。

彼の財政再建は実にシンプルです。

服部家の支出を徹底的に見直しました。

江戸時代後期の武士の家は、多くの場合、支出が放漫になっていて財政難になっていました。金次郎は徹底的に無駄をカットしていきます。

無駄をせず、上手にやりくりしたものを褒めたり、皿などの備品を壊してしまっても素直に名乗り出たら責任を追及しませんでした。

厳しくカットしただけではなく、予算よりも安く仕入れることに成功したものには成功報酬を与えてやる気を引き出しました。

こうして、人の心にも配慮した支出の見直しが功を奏して、服部家の財政は持ち直し、多額の借金も返済することができました。

これは、現代のファイナンシャルプランナーの方の手法にもよく似ていますよね。

自分の実力以上の贅沢をしない。工夫して切り詰める。楽しく節約する。いずれも大事なことだなぁと思います。

町復興 折と復活の日

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服部家の財政再建は評判となり、ついに小田原藩主大久保忠真の耳にも入ります。

大久保公は、金次郎に飛び地の桜町領の復興を命じます。

度重なる飢饉で疲弊した桜町領は困窮を極めていました。領民たちも自分たちの前途を悲観し、やる気のない生活を送っていました。

田畑を放り出し、昼間から酒を飲んで博打をする。怠けているというよりも、あまりに絶望的な現実から目をそらしている現実逃避だったのかもしれませんね。

このテンション最悪の農村に金次郎はやってきました。

金次郎は藩主に掛け合って年貢を半減させます。高すぎる税金がやる気をそいでいると考えたからです。

10年がかりの復興計画が、こうして始まりました。

しかし、すべての領民が金次郎の改革に賛成したわけではありません。反対する者たちも大勢いたいのです。

改革開始から6年目、突如として金次郎は桜町から姿を消しました。

金次郎の突然の失踪に、桜町の領民たちは真っ青になります。

指導者を失い、再び悪化し始めた状況に領民たちは狼狽します。

ついには、藩に金次郎の捜索願を出しました。

姿を消した金次郎は成田山新勝寺で断食行をしていました。改革がうまくいかない理由を自分の心と神仏に問うていたのです。

金次郎のもとに集まった桜町の人々は、再び桜町で改革の先頭に立ってほしいと懇願します。

人々の心が一つになったのを見た金次郎は桜町に戻りました。

実は、上杉謙信にも似たようなエピソードがあります。

人々の心がまとまらないときには、こうした一か八かの行動が必要なのかもしれませんね。

藩主と約束してから10年後、金次郎は桜町の復興に成功。年貢も1000俵から1900俵近くまで回復し、村には900俵の貯蓄もできました。

支出を削減し、生産性を向上させて収益を上げる

企業経営者としても有能だったことを示していますね。

その後も、小田原藩全体の飢饉を救ったり、いくつもの大名領を復興させるなど財政再建のプロとして大活躍しました。

ついには、江戸幕府に召し抱えられ幕府直轄地に復興も任される世になりました。

積小為大

「積小為大」とは二宮金次郎の言葉の中でもっともよく知られたものでしょう。

塵も積もれば山となるといったほうが、わかりやすいかもしれません。

「小さなことからコツコツと」というのは誰しもわかっているかもしれませんが、実現するのはとても難しいことです。

これは、江戸時代も現代も全く変わりません。

毎日の生活の無駄をなくしつつ、次の生産のための投資を怠らない

ただ、節約してため込むのではなく次につなげる投資の原資にする。

その意味では、変化の激しい現代にこそ、見直すべき人物ではないかと思います。

今日は、銅像の割にいまいち知られていない二宮金次郎(尊徳)を取り上げてみました。

二宮金次郎 農業の発展につくした偉人 (学習漫画・世界の伝記) [ 三上修平 ]


感想(5件)

 

11月にまつわるエトセトラ 誕生石 誕生花 感謝の祭り

こんにちは。木彫りグマです。

前回の『枕草子』にちなんで、今回は11月にまつわるエトセトラと題して、11月の異名や誕生石・誕生花11月に行われるアメリカの感謝祭、日本の新嘗祭などについて取り上げます。

11月の異称

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木彫りグマが住んでいる北海道では、11月は晩秋というより初冬です。

ニュースを見ていると各地から初雪の便りや、タイヤ交換を促すアナウンサーの声が聞こえてきます。

11月の別名で有名なのは霜月

ですが、それ以外にも異称がたくさんあるんですよ。

たとえば、。10月が神無月で神様が出雲に集合します。翌月には神が地元に帰るので、この名がついたようですね。

ロマンティックなところでは雪待月。これは風情がありますね。

初雪が降る初冬のころというのは、小春日和のあたたかな日差しの日もあります。

雪虫も姿を消し、「初雪はいつかな」という話題が人々の口の端にのぼるころですので、とてもよくわかる名前です。

とはいっても、北国の人間にとっては雪はあまり待ちたくないという落ちがつくのですが(笑)

異称の中には潜月というやけにカッコいい名前のものもありましたが、残念ながら由来は不明でした。機会があれば、じっくり調べてみたいですね。

11月の誕生石 トパーズ

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トパーズは日本語では黄玉と書きます。そのため、トパーズは黄色とばかり思っていたのですが、調べてみるとかなり多くの色があることがわかりました。

写真はブルートパーズ。こんな色もあるんですね。

日本でよく知られている黄色のものはインペリアルトパーズと呼ばれる色でした。

ブラジル皇帝ペドロ2世にちなんで名づけられたトパーズで、最も美しいとされているます。

ポケットに入れておくだけで太陽の恵みが得られるとされる大変ありがたい宝石ですが、私のような小心者はポケットに宝石なんか、おいそれと入れられません。

「誠実」「友情」「潔白」「希望」などの石言葉を持つとされます。

この言葉の並びを見ていると、昔々に読んだ「走れメロス」を思い出します。

太宰治がトパーズの石言葉を知っていたかどうかはともかく、メロスとセリヌンティウスの互いに対する誠実さ、固く結ばれた友情、身の潔白を主張するメロス、友を最後まで待ち続け、希望を捨てなかったセリヌンティウス

昔に読んだ本ながら、よく覚えていますね。

11月の花 椿

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椿は日本原産の植物。日本を代表する花木です。

そのためか、女性用シャンプーの銘柄名としても使われていますね。

い椿 白い椿と 落ちにけり

明治時代の俳人河東碧梧桐の句として有名です。河東碧梧桐写実主義を唱えた正岡子規の弟子で、高浜虚子と並ぶ有名人です。

椿の花は、花弁が散ったりはせず、花そのものが木から落ちます。

以前、実家の庭にも椿がありましたが、花が丸ごと地面に落ちるんです。

河東の句は椿の花がボトリと落ちる様子さえ感じさせてくれます。見たままを描く写実主義の真骨頂ではないでしょうか。

椿は花だけではなく、葉も色艶があります。濃厚な色気すら感じさせる花木だと思います。

アメリカの感謝祭 Thanks giving day

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感謝祭アメリカ・カナダの休日の一つです。

この日は、家族や友人が大勢集まってにぎやかに過ごすのが恒例です。

彼らにとって感謝祭は他の休日とは異なる特別な日です。

食べ物に恵まれ、幸せに暮らせることを神と先祖に感謝する一日なのです。

11月の第四木曜日から日曜日にかけての4日間が連休となることが多いです。

感謝祭の翌日から一年で最大のセールに突入します。感謝祭は木曜日なので、翌日の金曜日が商戦初日です。この日のことを特に「ブラック・フライデー」といいます。

消費が大きく動き、各店舗の売り上げが黒字になることからつけられたと聞きました。全品半額や予告なしのフラッシュセールなど様々な手段で消費意欲を掻き立てます。

アメリカが最も景気よく、活気づく1か月ですね。

新嘗祭

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新嘗祭とは、毎年11月23日に実施される収穫に感謝する儀式です。

天皇が今年取れた作物を神々に献上し、恵みに感謝する儀式です。

現代でも宮中で行われている儀式です。ちなみに、新たに即位した天皇が初めて行う新嘗祭のことを大嘗祭といいます。

古代から、天皇には神々をまつるという仕事がありました。それが現代でも連綿と受け継がれています。

平成最後の新嘗祭で献上される米は、栃木県益子町の水田のものです。

美味しい新米の季節です。自然の恵みと農家の皆さんに感謝しながら美味しいご飯を頂きたいですね。

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