元予備校講師の受験対策ブログ

元予備校講師の木彫りグマが、受験対策(主に古文・漢文・地歴公民・面接・小論文)について書くブログ

 本サイトはプロモーションが含まれています

清少納言の教養の高さが際立つ『枕草子』「雪のいと高う降りたるを(香炉峰の雪)」とは?わかりやすく解説!

 本サイトはプロモーションが含まれています

 

f:id:kiboriguma:20190124220436j:plain

枕草子』ってどんな内容?

教科書に出てくる「雪のいと高う降りたるを」ってどんな話?

香炉峰の雪の読み方は?

 

このページをご覧になった方は、そんな疑問を持っているかもしれません。「香炉峰の雪」は「こうろほうのゆき」と読みます。この文章は、清少納言の随筆『枕草子』の一節です。宮中で中宮定子の女房として仕えていた清少納言が宮廷での出来事をまとめたのが『枕草子』でした。

 

なかでも「香炉峰の雪」は中宮定子と清少納言の深い結びつきや、この二人ならではのやり取りが記された部分です。今回は、「香炉峰の雪」についてわかりやすく解説します。

 

なお、清少納言や古典の関連記事はこちらです。興味がありましたら、ぜひご覧ください!

kiboriguma.hatenadiary.jp

kiboriguma.hatenadiary.jp

kiboriguma.hatenadiary.jp

 

「雪のいと高う降りたるを」の登場人物紹介

中宮定子(ていし・さだこ)

中宮とは天皇の后の称号の一つで、皇后とほぼ同格です。定子一条天皇中宮でした。当時、一条天皇には藤原道隆の娘である中宮定子と藤原道長の娘である中宮彰子(しょうし)の2人が藤原氏から嫁いでいました。

 

定子と彰子、どちらに一条天皇の子供が生まれるかは彼女らの父である道隆・道長の将来を決定する重要事項。そのため、彼らはそばに仕える女房として優秀な女性を送り込み、定子・彰子をバックアップさせました

 

定子は非常に聡明で、日本語も漢文もどちらも優秀だったといいます。その理由は、母親が和歌や漢文に通じた女性だったからでした。しかも、非常に明るい性格の女性だったといわれます。一条天皇との仲も良好だったようです。

 

女房 清少納言

有名な歌人だった清原元輔の娘。清原家の娘なので「清」がつきます。少納言の由来は不明です。加えて、彼女の本名もわかっていません。ペンネーム清少納言さんという感じなのでしょう。

 

981年に陸奥守の橘則光と結婚し、子供を生みますが間もなく離婚。『枕草子』の内容からわかるように非常に博学な才女でした。定子に仕えていたころ、非常にもてたようで多くの和歌のやり取りが残されています。

 

定子がなくなったあとは宮中を退き、再婚相手のもとで暮らしたといいます。『枕草子』を書いたのは彼女が宮中を去ってからでした。

斬新な視点で描く清少納言のフィクションです。

ちょっと変わった清少納言の物語を読みたい方におすすめです。

 

「雪のいと高う降りたるを(香炉峰の雪)」あらすじ

敬語をややショートカットしつつ、あらすじだけを抜き出してみましょう。

 

ある、雪がたくさん降った朝。いつもと違い御格子(木で組んだ枠。窓ガラスの役割を果たしました)を下げて、火鉢に火を起こして(ストーブがないので、温まるための唯一の道具、これは寒かったでしょうね)、女房同士でいろいろな話をしていると。

 

定子「少納言よ。香炉峰の雪はどうなっているのでしょう」とお尋ねになりました。

 

清少納言は何も言わず、御格子を上げさせ(窓を開けさせる感じ)、御簾(カーテンのようなもの。偉い人は、カーテンに囲まれて過ごし、簡単には姿を現しませんでした。)を高く上げさせました。

 

すると中宮定子はお笑いになりました。

 

周りの女房達は「香炉峰の雪のことは知っていますし、和歌を詠むときの題材に使うことはありますが、(御簾をあげさせようとは)思いもよりませんでした。清少納言さん、あなたはさすがに中宮様にお仕えするだけありますね。」といったという。

香炉峰の雪」は当時の宮廷人の常識

平安時代の宮廷につかえる人はとても高い教養を求められました。

 

和歌を詠むための基本知識、過去の和歌集の名言、有名な漢文などは知っていて当たり前だったのです。ですから、その場にいた女房達も香炉峰の雪」が白居易の詩の一部であることはわかっていたのです。しかし、定子がなぜ、「香炉峰の雪、いかならむ」といったかまではすぐにわかりませんでした。

 

清少納言は、「これはいかに」などと問い返すようなことはせず、黙って御簾を上げます。清少納言は、漢詩の一節が「香炉峰の雪は簾(すだれ)を上げてみる」とあることから、定子が「雪が見たいから、すだれを上げて頂戴」と言ったのだと解釈して行動に移したのです。

 

香炉峰の雪については女房ならば知っていて当たり前の基礎知識。しかし、その基礎知識をすぐに応用して行動に移すのはなかなかできることではありません。この話を単なる清少納言の自慢話ととらえるのはちょっともったいない気がします。

 

だからこそ、女房たちは

さることは知り、歌などにさへ歌へど、思いこそ寄らざりつれ。

なほ、この宮の人には、さべきなめり。

清少納言を教養深い中宮定子の女房としてしかるべき人物だとほめたたえたのです。

 

香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげて見る」は白居易漢詩

香炉峰の雪」は白居易が読んだ漢詩の一節です。白居易漢詩をまとめた『白氏文集(はくしもんじゅう)』は平安貴族にとって必須の教養となっていました。

遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだて)て聞き、

香炉峰の雪は簾をかかげて見る

(遺愛寺の鐘は枕を傾けて聞き、香炉峰の雪は簾をはねあげて眺める)

引用:『白氏文集』

遺愛寺とは、中国南部の江州(江西省九江市)にある寺で、香炉峰は遺愛寺がある山のことでした。左遷された白居易が知人のいない地方の山奥で自分を見つめなおしながら読んだ漢詩です。

まとめ

明鏡国語辞典では教養を次のように定義しています。

学問や知識を身につけることによって得られる心の豊かさや物事への理解力。また、社会人として必要な文化に関する広い知識。カルチャー

誰かとコミュニケーションをとるとき、相手が理解しやすいように話すには教養が必要不可欠です。相手にとって身近なものに例えたり、表現を工夫する必要があるからです。多くの教養を身に着けている人は、話の引き出しが多いです。

 

ただ単に知識ばかりが多くても意味はありません。知っている知識をいかに多く活用するかが大事なのです。

 

中学校までに習う知識は、実社会でも使うものが多いのです。たとえば、天気。季節風の方向や地形を頭に入れることで局地的な天気を予想することができます。冬・日本海側・北西に山がなく開け地形。この条件がそろえば、雪の多い地域となります。

 

東海地方でも中央高地に雪を阻まれる静岡県と北西方向に高い山が少なく、強い季節風が吹けば雪が舞う名古屋周辺ではおのずと生活スタイルも異なるでしょう。

 

清少納言の「雪のいと高う降りたるを」は、彼女の自慢話というよりも教養の引き出しを持つことの大事さを物語っているのではないでしょうか

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

プライバシーポリシー お問い合わせ