「競べ弓ってどんな話?」
「競べ弓の登場人物や性格は?」
このページをご覧の皆さんはそのようなことをお考えかもしれません。
「競べ弓」は、歴史物語『大鏡』に収録されている話の一つです。
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話の主人公は藤原道長、彼と兄の道隆、甥の伊周が登場します。
勝気な道長、寛大さを装いつつ、道長を警戒する道隆、道長の発言に動揺する伊周など、三者三様の性格がまざまざと描かれます。
今回は「競べ弓」に登場する3人の人物像や「競べ弓」のあらすじ、などについて紹介します。
「競べ弓」の登場人物
藤原道長(この殿)
『大鏡』の主人公です。
『大鏡』は道長を中心に展開していますので、本文では彼に最大級の敬意が払われます。
なにせ、同じ『大鏡』の中で「世間の光にておはします殿」と書かれているくらいですから、『大鏡』筆者の道長びいきがわかります。
藤原道長は関白として政権を手中に収めた藤原兼家の五男ですが、有力な兄たちがいたため、当初は後継者とみなされていませんでした。
しかし、兄たちが相次いで亡くなったため、急速に力を増します。
そして、甥の伊周との後継者争いに勝利し、政権を掌握。
一条天皇・三条天皇・後一条天皇に自分の娘を嫁がせ、「一家三后」といわれました。
子の頼通とともに摂関政治の全盛時代を築きます。
藤原道隆(中関白)
道長の兄で、この当時の最高権力者。
父である兼家と弟の道長の間に挟まれた関白という意味で「中関白(なかのかんぱく)」とよばれるようになったという説があります。
中宮定子や伊周、隆家の父でもあります。
兼家が政治の実権を握ると、急速に昇進を果たしました。
『大鏡』や『枕草子』に登場する道隆は軽口をたたく人物として描かれます。
容姿に優れ立ち居振る舞いが立派な貴公子でもありました。
また、大酒飲みとしてしられ、晩年は糖尿病を患っていたともいわれます。
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藤原伊周(帥殿)
道隆と貴子の間に生まれた貴公子。
12歳(985年)で貴族の一員というべき従五位下の叙せられました。
その2年後に正五位下・左近衛少将となると、それから毎年のように昇進し続けます。
道隆が摂政になると昇進スピードはさらに加速。
992年には、正三位・権大納言に進み、押しも押されぬ大貴族となりました。
そして、994年には叔父の道長より高位の内大臣に昇進します。
しかし、道隆死後の後継者争いで道長に敗れ、花山法皇の輿に矢を射かけたことなどが原因で左遷されてしまいました。
「競べ弓」のあらすじ
「競べ弓」は2つのパートに分けることができます。
前半は道長と伊周の弓競べのシーン。
後半は延長戦を道長が制するシーン。
特に圧巻なのは第3幕。
道長はどのようにふるまったのでしょか?
競べ弓 前半
ある日、道隆(中関白)が自分の屋敷で弓の競射をさせていました。
すると、何の前触れもなく道長(この殿)が現れます。
道隆は「予期せず、珍しいことだ」(思ひがけず、あやし)と驚いてたいそう道長をもてなしました。
この当時、官位は伊周の方が上で、道長が下(そのため、本文では「下臈」と書いてあります)でしたが、道隆は道長に気を使い、先に射させました。
その後、伊周も的を射ましたが、的に中った数が道長よりも二本たりません。
すると、道隆や周囲の人々は勝負を延長するよう勧めました。
道長は内心、心穏やかではありませんでしたが延長を承知します。
競べ弓 後半
延長戦の時、道長は願をかけるように言い放ちました。
「道長の家から、天皇や皇后になられる方がでられるならば、この矢よ当たれ!」
矢は見事に命中。
しかも、的のど真ん中にあたりました。
ついで伊周の番になりましたが、道長の気迫に押されたのか、気後れしてしまい的にすら当たりません。
再び、道長の番。
道長は「摂政・関白になれるなら、この矢よ当たれ!」
矢は再びど真ん中に命中します。
伊周が自分の番になって射ようとした時、道隆や周囲の人々は
「どうして射るのか?射るな、射るな!」
と止めます。
結局、場は白けてしまいました。
藤原道長の性格
「競べ弓」にみられる道長の性格は「勝ち気」そのものです。
兄の家に乗り込み、甥の伊周と弓比べの勝負をします。
勝負は道長の勝利で終わるかに見えましたが、道隆や周囲の人の横やりで延長戦になりました。
道隆は兄とは言え時の最高権力者。
普通なら、息子の伊周を勝たせて兄の機嫌を取ろうとするでしょう。
ところが、道長は道隆や伊周に全く忖度せず、勝ってしまいました。
しかも、自分の家から天皇や皇后を出すことや自分が摂政・関白になることの願掛けまでしてしまうのですから驚きです。
『大鏡』は道長が主人公なので、これがヒーローになるのは当たり前ですが、なんともすごいエピソードですね。
まとめ
今回は『大鏡』の「競べ弓」をとりあげました。
他氏を排斥し、権力の頂点に立った藤原北家。
その内部で繰り広げられた身内同士の権力闘争の一幕ですが、若き日の藤原道長の勝ち気な性格が伺えるエピソードです。
これからも、『大鏡』などのエピソードを紹介したいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。