「日本の税の歴史ってどうなっているの?」
「地租や酒税ってどんな税?」
「シャウプ税制や消費税など戦後の税について知りたい!」
このページをご覧の皆さんはそのようなことをお考えかもしれません。
近代化を進めたい明治政府は、様々な理由をつけて税を取ろうとします。
まだ、日本が農業国家だった明治時代前半、政府の収入は地租に頼っていました。
他の産業が発達すると、酒税など税の種類が多様化しました。
そのため、戦前は複雑な間接税中心の税制となります。
税のシステムが一変したのはGHQの顧問としてやってきたシャウプによる改革、いわゆる「シャウプ勧告」によってです。
これにより、日本の税制は直接税中心のものとなりました。
また、税の不公平感をなくすため、高所得者ほど納税率が高まる累進課税もこの時導入されます。
しかし、財源の不足などから平成に入ると消費税が創設され、3%、5%、8%、10%と税率が上がります。
今回は明治時代以後の税の歴史について、わかりやすく解説します。
明治時代の地租
当時の日本は欧米からはるかに遅れた発展途上国で産業を発展させ、軍事力を強めるためにたくさんのお金が必要だったからです。
ところが、江戸時代の税は現物。
米をおさめることが納税の中心でした。
現物は毎年取れ高が異なるので税収が安定しません。
しかも、現金と異なり現物の値段は変化します。
これでは、予算を立てて国を運用することができません。
もし、皆さんの給料が米などで支払われ、現金にするためには米屋さんなどで米を引き取ってもらわなければならないとしたらどうでしょう?
ものすごく不便ですよね。
明治政府も「不便だなぁ。直接現金をgetできないかなぁ」と悩んだわけです。
それでつくられた税金が「地租」です。
小中学校で暗記させられませんでしたか?
「土地の所有者は地価の3%を地租として現金で支払わなければならない」。
あれです。
あれは、農民から現金をgetするために政府が決めたルールなんです。
こうして、安定した現金を手に入れた明治政府は「殖産興業」という産業を盛んにする政策を実施します。
農民から得られた現金をもとに海外から人材を招き、お雇い外国人を日本に呼び寄せました。
北海道大学に招かれたクラークもその一人です。
明治時代~大正時代の酒税
税金を取られるのは誰しも嫌なことでしょう。
しかし、日々の生活に必要なものにかけられる税金は嫌でも納めなければなりません。
その代表例が酒税でした。
お酒を飲まない人にとってはともかく、飲む人にとってはなかなか懐に厳しい税金です。
戦前は酒税の割合が非常に高かったことで知られています。
1899年には、なんと、税金の中で最も大きな割合となっていました。
娯楽が少ない時代、一般の人々にとって酒はとても重要なストレス発散の手段でした。
酒にかける税は確実に徴収できる貴重な財源だったのです。
ちなみに、現在の酒税は減少の一途をたどっています。
最近では若者の酒離れなどといわれていますが、今と昔は大分状況が違うようです。
まあ、手っ取り早く取れるところからとるというのは今も昔も変わりませんが(笑)
その後も、戦争などで戦費が必要になるたびに「醤油税」「砂糖税」などといった特定の品物に課税するなどの新税がつくられ、税の仕組みが複雑になっていきました。
昭和時代 シャウプ税制
第二次世界大戦後、日本はGHQの占領統治下に置かれました。
あのマッカーサーの時代です。
GHQは日本の税制改革を行うため、アメリカ本国から専門家集団を呼び寄せました。
た。その代表がシャウプです。
シャウプは「今(戦前)の税金の仕組みは複雑すぎ。もっと簡単にしようぜ!」と主張します。
「収入に応じて税金をかけ、儲かっている人ほど多くの税を払うようにすればいいじゃん。貧乏な人は税の負担を軽くしよう」とも考えました。
この考え方を「累進課税」といいます。
現在の最高所得税率は年収4000万円以上で、45%。
仮想通貨で「億り人」になっても、半分近くは所得税で持っていかれます。
(住民税を入れると55%)
たまに、ネット上でこのことを知らなかった人が税の支払いで大変な目にあったという体験談がでています。
「億り人」になる機会があれば気を付けましょう(笑)
ただ、このやり方にも弱点はあります。
お金持ちからすれば、日本よりも所得税の安い国に逃げ出したくなりますよね。
特定の富裕層だけから税を取る仕組みは限界があるのです。
平成時代 消費税の導入
昭和のころにも消費税導入の議論はありました。
中曽根内閣時代に提示された「売上税」です。
しかし、これは自民党内部からも反発を受けて実現しないまま廃案に終わりました。
1989年(平成元年)、竹下内閣はついに消費税導入に踏み切ります。
税率は売上税よりも低い3%。
しかし、国民の反発は強いものがありました。
結局、竹下内閣の支持率は低迷。
リクルート事件の疑惑もあって総辞職に追い込まれます。
竹下登はDAIGOさんのおじいさんとしても知られていますよね。
その後も橋本内閣時代に5%。
野田内閣時代に8%と増税が繰り返されました。
増税のたびに駆け込み需要と消費不振も繰り返されました。
さて、今回行われる2019年の消費税の場合はどうでしょうか。
駆け込み需要と消費不振は今回もおそらく起こるでしょう。問題はそのあとです。
増税の結果、日本が良くなるとみんなが思えば消費不振の影響も最小限にとどまるかもしれません。これが一番難しいところですね。
日露戦争当時、日本国民は多額の臨時増税と多数の戦死者に必死に耐えました。
ところが、戦後のポーツマス条約で賠償金をとることができず生活の苦しみは改善されませんでした。
怒った国民が日比谷焼打ち事件を起こしたのも有名な話です。
戦争には勝ったものの、景気が回復するまでに20年かかりました。
今回、そうならないためにも政府には増税後の未来予想図の提示を期待したいものですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。