「砂糖の原料って何?」
「砂糖精製の歴史とは?」
「大西洋三角貿易と砂糖のかかわりは?」
このページをご覧の皆さんはそのような疑問を持っているかもしれません。
砂糖の主な原料はサトウキビとテンサイです。
砂糖精製はイスラム世界で始まり、その後、ヨーロッパに広がります。
琉球王国で砂糖の精製がはじまり、日本で砂糖流通が盛んになったのは江戸時代でした。
砂糖の大量生産のきっかけとなったのは中南米の植民地化です。
ヨーロッパ人は中南米に大農園(プランテーション)をつくり、そこでサトウキビを栽培。
その後、サトウキビから砂糖を精製しヨーロッパに輸出しました。
これにより、これまで高価だった砂糖の価格が大きく下落します。
今回は砂糖の原料や砂糖精製の歴史、大西洋三角貿易と砂糖のかかわりについてわかりやすく解説します。
砂糖とは
砂糖とは、サトウキビやサトウダイコン(テンサイ)を材料としてつくったショ糖を主成分とする甘味料のことです。
サトウキビの搾りかすは燃料として利用されることがあります。
また、テンサイの搾りかすは家畜の飼料として利用されます。
砂糖の原料とは
砂糖はサトウキビやテンサイから作られます。それぞれについてみてみましょう。
サトウキビ
サトウキビ(砂糖黍)はイネ科の多年草です。
草丈は2メートルから4メートルほどです。
人がすっぽり隠れてしまうほどの草丈です。
『島唄』で「ウージの森」(サトウキビの森)と例えられるのもうなずけます。
原産地はニューギニア島とその周辺と考えられています。
東南アジアからインドに伝来し、紀元前2000年ころからサトウキビから糖蜜をとっていたようです。
その後、イスラム商人の手によって糖蜜から砂糖が生産され、イスラム世界やヨーロッパに砂糖が持ち込まれました。
テンサイ
テンサイはサトウダイコンともよばれる植物です。
アカザ科の2年草で成長すると1メートル近くになります。
大根に似た根を持つ植物で、原産地は地中海地方です。
日本では北海道で栽培されていますね。
砂糖の歴史
昔から砂糖は作られていました。砂糖の歴史について年表でまとめます。
砂糖の歴史年表
カーリミー商人と砂糖の関係
はじめ、インドでサトウキビの栽培や砂糖の精製が盛んになりました。
その技術は唐やイスラム世界に広がります。
イスラム世界でサトウキビの一大産地となったのがエジプトでした。
灌漑技術が発達し、サトウキビの栽培に適した気候だったのがその理由です。
このエジプト産の砂糖を各地に販売したのがカーリミー商人たちでした。
カーリミー商人はエジプトや イエメンを拠点に、地中海地方とインド洋沿岸を結ぶ交易ルートで活躍した商人たちで、主に香辛料を扱って富を得ました。
砂糖は彼らにとって香辛料に次ぐ重要な商品でした。
カーリミー商人は14世紀に全盛期を迎えます。
しかし、14世紀末後半になるとカーリミー商人の力は衰えました。
理由はペストの流行で大打撃を負ったからです。
その後もエジプトでの砂糖生産やインド洋交易はその後も続きますが、カーリミー商人のような強い力を持った商人たちは登場しませんでした。
ヨーロッパでのサトウキビ栽培
ヨーロッパに砂糖の精製技術が伝わるのは十字軍時代以降です。
十字軍の遠征に協力したイタリア半島の都市国家は地中海交易で富を蓄えました。
彼らは富だけではなく、多くの技術もイスラム世界から獲得します。
砂糖精製技術もその一つだったのでしょう。
はじめ、ヨーロッパ人たちはサトウキビをキプロスに持ち込みました。
それからイタリア南部のシチリア島やイベリア半島東部のバレンシアでサトウキビ生産を始めます。
15世紀に大航海時代が幕を開けると、サトウキビ生産はポルトガル領のマディラ島やスペイン領のカナリア諸島で盛んになります。
現在、マディラ島はワインの生産が盛んです。
マディラワインは酒精強化ワインの一つであり、アルコール度が高いことで有名です。
その度数は17~22%でワインの平均的なアルコール度数を大きく上回ります。
マディラワインは辛口から甘口までありますが、個人的には甘口のワインがオススメ。
濃く、茶色がかった黄金色のワインは、異国情緒を醸し出してくれる絶好のアイテムとなるでしょう。
マディラ島やカナリア諸島でのサトウキビ生産が始まると、シチリアやバレンシアのサトウキビ栽培は競争に敗れ衰退してしまいました。
砂糖精製の琉球伝来
室町時代まで、砂糖は舶来品でした。
戦国時代に、ポルトガルやスペインから来た宣教師たちがコンペイトウ(金平糖)を持ち込んだことが知られています。
江戸時代初期、琉球王国を支配していた薩摩藩は琉球の儀間真常(ぎましんじょう)を明に派遣し、黒糖の製法を学ばせました。
ちなみに儀間はサツマイモを琉球国内で普及させたことや薩摩から木綿種を持ち帰って栽培を広げた人物としても知られています。
儀間は琉球の産業にとって非常に重要な役割を果たしました。
これ以後、サトウキビの栽培やサトウキビから精製される黒糖の生産が琉球王国の重要な産業となりました。
大西洋三角貿易とサトウキビ
大航海時代になると、スペインやポルトガルは中南米の原住民の王国を征服し、自分たちの植民地としました。
そして、手に入れた広大な土地を大農園(プランテーション)とし、サトウキビや綿花を大量に栽培します。
サトウキビは現地で精製され、ヨーロッパに運ばれました。
大西洋三角貿易について知りたい方はこちらの記事もどうぞ!
サトウキビと切っても切り離せないのがラム酒。
当初、ラム酒は品質が低く、奴隷に与えられる酒という位置づけでした。
しかし、フランス人の 修道士ジャン・バチスト・ラバはコニャックの製法を応用することで品質の向上に成功。
ラム酒の商品価値が高まります。
スペイン人のワイン商バカルディのキューバ移住によって誕生したメーカーでした。バカルディのスペリオールシルバーはカクテルのベースとして非常に有名。
バーテンダー御用達のラム酒でオリジナルカクテルを作りたいという方にオススメですね。
好みは分かれますが、こちらのバカルディ クラシックカクテルズ モヒートもおすすめです。
個人的には、100%オレンジジュースとモヒートの組み合わせが夏っぽくて非常に好きでした。
ミント感が苦手なら、スペリオールシルバーのほうがいいかもしれませんね。
コーヒー・紅茶と砂糖の関係
ヨーロッパで砂糖の消費量が激増したのはコーヒーや紅茶が普及してからでした。
17世紀以降、紅茶やコーヒーがヨーロッパで飲まれるようになりました。
特に産業革命後のイギリスでは、工場経営者によって砂糖入りの紅茶が推奨されました。
紅茶のカフェインは疲労回復に役立ち、砂糖はカロリー補給に有効だったからです。
しかも、酒と違い飲んだ後でも作業ができます。
砂糖入りの紅茶は工場経営者にとって、非常に好ましい飲み物でした。
ヨーロッパでの需要増加を受け、プランテーションではサトウキビの増産と砂糖の精製が盛んになります。
黒人奴隷を使ったプランテーションでつくられる砂糖は安く大量に生産された砂糖は大西洋三角貿易の主力商品に成長しました。
まとめ
今回は砂糖の歴史についてまとめました。
砂糖の原料はサトウキビとテンサイ。
特に、サトウキビの大量栽培と精製は世界の歴史に大きな影響を与えました。
大西洋三角貿易の歴史や沖縄の歴史を考える上でも、砂糖は避けて通れないテーマです。
この記事を読んで少しでも砂糖の歴史に関する疑問が解消されたらうれしいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。