元予備校講師の受験対策ブログ

元予備校講師の木彫りグマが、受験対策(主に古文・漢文・地歴公民・面接・小論文)について書くブログ

 本サイトはプロモーションが含まれています

「アフリカってどんな地域?」「アフリカの歴史や宗教はどうなっているの?」「アフリカが貧しい理由とは?」わかりやすく解説!

 本サイトはプロモーションが含まれています

アフリカってどんな歴史があるの?

アフリカの宗教はどうなっているの?

アフリカが貧しい理由とは?

 

このページをご覧の皆さんはそのような疑問を持っているかもしれません。

アフリカは15世紀まで独自の文化が栄えていました。

しかし、ヨーロッパ人たちがやってくるとアフリカの多くの人々を奴隷として購入し南北アメリカに売り払いました。

そのせいで、アフリカ発展に必要な人間が不足し、アフリカは他地域に比べ発展が遅れてしまいます。

また、アフリカの宗教は北アフリカイスラム教、中南アフリカは旧来の宗教とキリスト教の混在となっています。

今回は、アフリカの歴史とアフリカが抱える諸問題、アフリカの可能性などについてまとめます。

 

植民地化されたアフリカ

イラストAC

 

15世紀以前、アフリカ、特にサハラ砂漠以南のアフリカではマリ王国ソンガイ王国といった独自の王国が繁栄していました。

状況が一変するのは大航海時代になり、海からヨーロッパ人がやってきたからです。

 

ヨーロッパ人たちは沿岸部の諸部族・諸王国と貿易をおこなうだけではなく、沿岸部の国々にヨーロッパ製の武器を売り、それらの国が戦いで獲得した奴隷を購入し、南北アメリカの大農園に奴隷として売却しました。

 

こうした奴隷貿易はアフリカの人口増加を抑制し、働き盛りの青年がアフリカから奪われるという状態をもたらします。

 

19世紀に入るとヨーロッパ人たちはアフリカ各地を植民地として直接支配します。

イギリスやフランスをはじめとするヨーロッパ諸国はアフリカ各地を勝手に分割

自分たちの都合の良い支配を行いました。

 

ヨーロッパ人がおこなった大西洋三角貿易について知りたい方は是非こちらも読んでください! 

kiboriguma.hatenadiary.jp 

アフリカの宗教

 

ヨーロッパ人が入り込む前、アフリカでは独自の文化や宗教が栄えていました。

北アフリカは早くにイスラーム教を受け入れましたが、南アフリカでは自然崇拝を中心とする独自の宗教が信仰されます。

 

シャーマンによる祈祷や部族単位の儀式など、アフリカ独自の文化が存在していました。

しかし、ヨーロッパ人たちが植民地化すると「文明化」の名のもとにキリスト教の布教が行われます。

そのため、イギリスの中核植民地となった南アフリカなどではキリスト教が広まりました。

 

例外的なものとして、古代から続くコプト教があります。

コプト教エチオピアに伝えられた古代キリスト教正教会の流れをくんでいます。

エチオピアにはイスラーム教が入りますが、内陸部を中心にコプト教が生き残りました。

 

19世紀にヨーロッパ人たちが各地を植民地化するとき、部族や宗教のことを考えずヨーロッパ人たちの都合によって国境線を引かれました。

このことが、現代でも頻発する民族紛争の原因となります。

 

同様のことが中東地域でも発生しました。

ヨーロッパ人たちの過去を責めるわけではありませんが、ヨーロッパ人による世界の植民地化が現代社会に大きな影響を及ぼしていることは知っておくべきでしょう。

 

アフリカの貿易とモノカルチャー

植民地とされたアフリカ諸国では工業がなかなか育ちません。

その理由もヨーロッパ人たちが行った植民地化にありました。

 

ヨーロッパ人たちにとって、アフリカは原料を安く供給してもらい自国の製品を買ってくれる「お客さん」でいてほしいのです。

下手に工業化して自分たちのライバルとして成長してほしいわけではありません。

 

そのため、ヨーロッパ人たちは原料の生産には熱心でも工業化には積極的に取り組みませんでした。

アフリカ諸国は原材料の輸出国が多く工業国が少ないのですが、そうなってしまったのは原材料供給中心の先進国の仕組みに取り込まれたからですね。

 

アフリカ諸国は特定の一次産品(農産物や鉱産資源)などの輸出に頼るモノカルチャー経済となっている国が多いです。

例えば、ガーナだとカカオ豆、ナイジェリアは石油、ケニアは茶などの大農園がヨーロッパ人たちによって作られました。それが現在も継承されているのです。 

 

1960年はアフリカの年

1957年、イギリスの植民地だったゴールドコーストで生まれたエンクルマはイギリスに対して即時自治を要求する非暴力不服従運動を展開。

イギリスからの独立を勝ち取りました。

ゴールドコーストは1957年にガーナ共和国として独立を果たします。

 

エンクルマは1958年に第1回アフリカ独立諸国会議を開催。

諸国の独立を支援します。エンクルマなどの独立派に刺激されたアフリカ諸国は次々と独立。

1960年には17もの国が独立を達成したのでアフリカの年とよばれました。

 

しかし、独立したアフリカ諸国では経済的な力の弱さなどもあり政権が安定しません。

そのため、軍事独裁政権が生まれやすいという問題を抱えています。

先進国がアフリカ諸国から原材料を安く購入することで経済的に搾取する側面も否定できません。

 

アフリカと関係を強める中国

近年、アフリカ諸国との関係を強めているのが経済発展を遂げた中国です。

中国はアフリカに経済支援をおこなうだけではなく、アフリカの資源の購入や中国企業のアフリカ進出をおこなうなど経済的な結びつきを強化しています。

 

中国はアフリカの軍事独裁政権などへの援助や民族紛争への関与などで世界的な批判を浴びました。

それでも、中国のアフリカ進出は加速する一方です。 

アフリカの可能性

アフリカは「世界最後のフロンティア」とみなされつつあります。

人口は急激に増加しつつあり、地下資源が豊富だからです。

アフリカ諸国の持つポテンシャルは非常に高いものだといえるでしょう。

 

しかし、頻発する民族紛争や拡大する貧富の差、南アフリカで見られるような経済発展と引き換えの治安の悪さなど改善点も数多くあります。

 

それでも、大きな可能性を秘めた地域であることは間違いありません。

経済や投資の分野でも成長が期待されているエリアです。

 

日本ではニュースになることが少ないですが、今後も、アフリカの経済発展や動向に目が離せませんね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

プライバシーポリシー お問い合わせ