元予備校講師、木彫りグマのブログ

元予備校講師の木彫りグマが、主に歴史・地理・社会経済、古典などについて書くブログ

すべては移り変わるという仏教の理「諸行無常」について、元予備校講師が思うところを語ります

祇園精舎の鐘の声、諸行無常に響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。

 

こんにちは。木彫りグマです。

 

冒頭に書きましたのは、「超」有名な平家物語の冒頭文です。

最近の新型コロナウイルス関連のニュースを見ていると、つくづく、この冒頭文を思い出します。

1か月前、北海道で非常事態宣言が出されたころに、東京が同じような事態になると想像できたでしょうか?

いえ、想像はできたとしても、実感できたでしょうか?

小池都知事の声明に始まって、あっという間に首都圏への移動自粛、生活必需品の買いだめなど、次から次へと新しい事態が起きます。

 

しかし、歴史を振り返ってみると、激動期は「そんなもの」だったかもしれません。

今よりも情報を得にくい一般の人々は、激変する情勢に、またたくまに巻き込まれていったかもしれません。

 

さて、今回は諸行無常にまつわるお話をしていきたいと思います。

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<a href="https://www.photo-ac.com/profile/2661963">ジャンカミ</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

 

仏教における「諸行無常

 

諸行無常という言葉は、もともと仏教の経典に書かれた言葉です。

仏典の一つ『涅槃経』には、

 諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽 

と書かれていますね。

 

全ての存在は移り変わり、これが生まれては滅するのが世界の法則である。

諸行無常の理を悟り、生への執着を捨て去れば、心の安楽を得られるだろう。

 

物事の変化を「あるべきもの」としてとらえ、受け入れることで心の安楽を得るというのは、日本の文学や歴史によく出てくる考え方ですね。

 

日本風の諸行無常、「いろは歌

 

諸行無常の日本版ともいえるのが「いろは歌」かもしれません。

 

いろはにほへと ちりぬるを

(色は匂へと 散りぬるを)

わかよたれそ つねならむ

(我が世誰ぞ 常ならむ)

うゐのおくやま けふこえて

(有為の奥山 今日越えて)

あさきゆめみし ゑひもせす

(浅き夢見じ 酔ひもせず)

 

現代語訳はさまざまありますが、木彫りグマは

 美しい花すら散っていく

 自分の生涯が、どうして不変だといえるだろう(いや、いえない)

 無情なこの世を今日も生きる

 浅い夢や、酔ったような幸せな気分を味わうことがないままに

と考えています。

 

鴨長明が書いた方丈記の冒頭文

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

というのとも通じませんか?

 

災害が多い日本では、いつどんな急変があるかわからない。

そう思いながら昔の人が生きていたとしても、何も不思議はありません。

新型コロナウイルスによる激変も、「無常」の一つの表れに感じてしまいます。

 

 

身をもって諸行無常の理を示した檀林皇后

 

世の中に、同じであり続けるものはない。

どんなに美しいものでも、いつか滅び去ってしまう。

そのことを、身をもって世に示そうとしたのが檀林皇后こと、橘嘉智子です。

 

橘嘉智子平安時代初期の嵯峨天皇の皇后。

檀林寺を創建したことから、檀林皇后とよばれます。

 

橘嘉智子は、深く仏教に帰依していました。

彼女は、死に臨み、身をもって諸行無常の真理を世に示そうとします。

 

嘉智子は、死んだあと、自分の遺体を埋葬せず、京都郊外の帷子辻(かたびらがつじ)に放置するよう遺言しました。

生前、僧侶さえ心を動かされてしまうほどの美貌を誇った嘉智子でさえ、諸行無常の理の前には、醜く腐りはて、地に帰ってしまうのだと世に示そうとしたといいます。

彼女が、醜く変化する様子を描いたのが「九相図」でした。

 

余りに醜く変わり果ててゆく彼女の様子を見て、彼女に心を寄せた者たちも無常を悟り、僧侶も修業に打ち込むようになったといいます。

 

諸行無常と知りつつ、一瞬の美に心を奪われた西行法師

 

一年のうち、わずか1~2週間だけ花を咲かせ、美しさの絶頂で散っていく桜。

この花ほど、諸行無常を象徴しているものはないでしょう。

古来、桜に心を奪われた歌人は数多くいます。

その中でも、西行法師ほど桜を愛した歌人は少ないのではないでしょうか。

 

 

室町時代能楽師世阿弥西行をモデルにした演目「西行桜」を書いています。

西行が住む庵には美しい桜の木がありました。

人々は、その桜の美しさを愛でるため、毎年、西行の庵を訪れます。

庵に来る人々を見ながら、西行

 「花見んと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の咎にはありける」

桜を見たいと人々が群れ集ってしまうことが桜の罪だと詠いました。

 

その夜、老いた桜の精が西行のもとに現れ

 「桜の咎とは何か」

と尋ねます。

すると、西行

「桜は、ただ咲くだけで咎などあろうはずはない」

と答えました。

老いた桜の精は、西行に桜の名所を教えると舞を舞って姿を消しました。

 

3月20日からの3連休、多くの人々はコロナ疲れもあったのでしょうが、春の陽気に誘われて花見に出かけました。

西行に言わせれば、桜が悪いのではなく、桜に引き付けられる人間が悪いということなのでしょうか。

 

西行の残した歌に

 「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」

というのがあります。

西行の命日は1190年の2月16日。

まさに、如月の望月(満月)のころでした。

西行が桜を愛しただけではなく、桜も西行を愛し、西行の望み通りに黄泉へといざなったのかもしれません。

 

 

突然終わる日常を描いた話題作「100日後に死ぬワニ」

 

桜といえば、話題作「100日後に死ぬワニ」のラストーンも桜でしたね。

100日後に死んでしまうワニの平凡な日常が4コマ漫画で、毎日、描かれる作品です。

四コマのさいごに「死まであと〇〇日」と書かれているのが、ある意味衝撃的でした。

 

ワニの日常は、本当にありふれたもの。

まるで、自分の毎日を見ているかのようです。

 

自分が100日後に死ぬことなど知らず、1年待ちの羽毛布団を注文するあたり、何ともいえない哀愁が漂いますが、未来を知らないワニはどこ吹く風。

 

着実に、四コマ最後に書かれるカウントダウンが減っていきます。

時折、ワニの死を示唆するような絵が出てくるのが悲しいのですが、それは、見ている私たちがワニの死という結論を知っているから。

 

ワニの平凡な日常は、ある日突然終わりを迎えます。

自分たちの一生も、こんなものかもしれない。

ふと、そんな気になってしまう作品でした。

 

最後のワンシーンの桜。

散り行く桜こそ、諸行無常の象徴に感じるのは私だけなのでしょうか。

 

個人的に、「100日後に死ぬワニ」はとても気に入りました。

おもわず、本になっているものも欲しくなって買ってしまいました。

ふとしたときに、手に取りたい本だなぁと思います。

100日後に死ぬワニ (ゲッサン少年サンデーコミックス) [ きくち ゆうき ]

 

さいごに

 

今回は、諸行無常をキーワードに檀林皇后や西行、100日後に死ぬワニについて話してみました。

今回の新型コロナウイルスも、「過去のこと」として語れる日が、少しでも早く来るといいなと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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