元予備校講師、木彫りグマのブログ

元予備校講師の木彫りグマが、主に歴史・地理・社会経済、古典などについて書くブログ

バブル景気とは何か、バブル景気が発生した原因やバブル期のエピソードなどについて元予備校講師がわかりやすく解説

こんにちは、木彫りグマです。

 

今からおよそ30年前、1980年代後半から1990年代初頭まで日本は空前の好景気に沸いていました。

のちに、この好景気はバブル経済・バブル景気とよばれます。

バブル景気の期間はいつからで、何が原因で発生したのか。

バブル景気に突入した背景やきっかけは何なのか。

バブル景気の歴史や世相、エピソードなどを紹介しつつ、バブル景気とは何だったかについてまとめます。

なお、バブル経済のころの日本を知りたい方は、こちらの記事もどうぞ

平成30年史 平成元(1989)年編

kiboriguma.hatenadiary.jp

 

 平成30年史 平成二(1990)年編

kiboriguma.hatenadiary.jp

 

[:contents]平成30年史 平成三(1991)年編

kiboriguma.hatenadiary.jp

 

f:id:kiboriguma:20200218093824j:plain

<a href="https://www.ac-illust.com/main/profile.php?id=o0rgIaMr&area=1">イラストスター</a>さんによる<a href="https://www.ac-illust.com/">イラストAC</a>からのイラスト

バブル景気・経済の定義

バブル景気とはそもそもどのようなものだったのでしょうか。経済現象としてのバブル経済と、日本に空前の繁栄をもたらしたバブル景気の定義や期間についてまとめます。

 

日本銀行によるバブル経済の定義

バブル景気から10年近く経過した2000年12月、日本銀行はバブルについてまとめた「資産価格バブルと金融政策」と題されたレポートを発表しました。

レポートの原文をご覧になりたい方は、下記の記事をご覧ください。

https://www.imes.boj.or.jp/research/abstracts/japanese/kk19-4-9.html

 

この中で、バブル経済の特徴を

バブル経済は、①資産価格の急激な上昇、②経済活動の過熱、③マネー・信用の膨張の3つによって特徴づけられる。

と定義しました。

 

バブル景気とは

バブル景気とは、1986年12月から1991年2月にかけて、51か月間に日本で起きた資産価値の上昇や好景気、それによってもたらされた社会現象をさす言葉です。

一般的には、バブル景気とバブル経済、バブル期、平成景気、平成バブルなどとよばれますね。

 

経済学の視点から見るとバブル景気とバブル経済は異なるようですが、一般論的解釈としてはほぼ同義と考えてよいでしょう。

 

この時代、株や土地、建物、絵画、宝石など有形無形のあらゆる資産が急騰します。

人々は争ってこれらの資産を購入し、高値で転売していました。

 

1980年代後半の「金余り」を背景に、土地の転売や財テク、ノンバンクなどによる土地関連融資やリゾート法の改正などにより、一獲千金を夢見る投機が流行します。

 

 

バブル景気の背景

バブル景気の背景には「金余り」があったという説明がなされることが多いです。では、なぜ「金余り」が発生したのでしょうか。

 

円高不況と低金利政策

第二次世界大戦後、日本は輸出産業を中心に経済成長を遂げていました。1973年、アメリカのニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表。ドルを中心とした固定相場制(ブレトンウッズ体制)が崩壊しました。

 

それまで、1ドル360円だった為替相場は1ドル308円になります。その後も、為替相場ではドルの値下げが続き、1ドル240円前後まで下がります。

 

しかし、それでもアメリカ経済の実態から考えればドルは高すぎでした。少しでもドルを値下げし、輸出を増やすことで貿易赤字を減らしたいアメリカはフランス、イギリス、日本、西ドイツの代表と協議。ドル安を誘導するプラザ合意が結ばれました。

 

これにより、円高が急速に進行。日本の景気を悪化させます。日本銀行は低金利政策を実施し、市場にお金をたくさん供給しました。

 

お金を増やすことで、国内の消費を活発にし、日本経済を回復させることが目的です。円高不況が一段落し、景気が回復した後も日本銀行は低金利政策を継続。金余りの原因を作りました。

 

原油価格の下落

1970年代、第四次中東戦争イラン革命により、原油が急騰しました。これをオイルショックといいます。石油を輸入していた日本や欧米などの先進国は、オイルショックにより経済成長が鈍化しました。

 

1986年、原油価格は大幅に下落します。下落の原因として2つの要因があげられました。一つは、需給バランスが緩和したこと。1980年代前半の不景気により、世界的に原油の需要量が減ったことが大きな要因です。もう一つの要因は世界的な原油の増産。1970年代の高値に刺激され、中東以外の地域でも石油生産が活発化します。モノは余れば安くなります。

 

原油価格の暴落について、日本エネルギー経済研究所が出したレポートをご覧になりたい方は、こちらをご覧ください。

http://eneken.ieej.or.jp/data/6040.pdf

 

国内市場への資金流入

円高不況から脱出するため、日本銀行政策金利を大きく引き下げ、企業がお金を借りやすくしました。

政府は公共事業を活発に行い、企業や労働者にお金が行き渡るようにします。

原油価格が下落したことで、生産や輸送のコストが減ったことも好景気の背中を押しました。

 

日本全体に過剰ともいえるお金が出回ったことで、企業や投資家たちは「価値がありそうなもの」を次々に購入。

あらゆる資産の価値が向上するバブルの状態が生み出されました。

 

 

バブル景気の内容と当時の世相

「金余り」のバブル時代が到来すると、人々は日本経済の実力を過大評価。一獲千金を夢見る投機が大流行します。

 

地価の高騰

国内であり余ったお金が向かった先は土地でした。

このころ、土地の価格は上がることはあっても下がることはないという「土地神話」が流布していました。

 

実際に使うためではなく、転売のための土地購入が盛んになり、地価が高騰します。

銀行や土地購入のための資金を次々と供給しました。

銀行による貸し出しは1985年3月末から1993年3月末にかけて、251兆円から482兆円とほぼ倍増します。

 

株価の急上昇

1986年2月、分割民営化により株式会社となっていたNTTが上場。2か月後には売り出し価格の3倍の株価となりました。株価の急上昇に刺激された企業や個人は「財テク」にのめりこんでいきます。

 

1988年、来日したアメリカの中央銀行にあたるFRB議長のグリーンスパンは、日本の株価が実体経済より過大評価されている可能性を指摘します。しかし、グリーンスパンに警告に耳を傾ける人は少数派だったでしょう。

 

1986年から急上昇した日経平均株価は、1989年12月29日に38.957円を記録。1985年の約3倍へと膨張しました。

 

地上げ屋の出現

土地の価格が高騰すると、右肩上がりに上昇する土地を狙って強引な用地賠償が行われるようになりました。

細切れの小さな土地でも、近隣の土地とあわせて大きくすれば資産価値は大幅に上昇します。

 

そのため、地主や住民を強引に脅し土地を強引に買い取る「地上げ屋」が出現しました。

地上げは大きな利益をもたらすだけに、現在でも問題となることがあります。

土地の売買を行う際には、十分用心したほうが良いでしょう。

 

バブル期のエピソード

バブル期には、現在では考えられないような派手なエピソードがあったようです。

よく聞くのは、タクシー代のこと。

1万円札を振ってタクシーを止めたというのは大げさにしても、帰宅時のタクシーはお客による争奪戦だったそうです。

企業が社員に対し、タクシー券を渡していたのも、今は昔の物語といったところでしょうね。

 

バブル期は、高級住宅や高級車、高額のゴルフ会員権などが飛ぶように売れていました。リゾート開発も盛んで、クリスマスには豪華なリゾートで、という話も珍しくありません。

 

就職も超売り手市場。公務員になるのはもったいない。勤めるなら高給取りの証券会社がいいといわれていた時代です。

 

さいごに

バブル景気は、今では伝説のように語られていますが、木彫りグマが子供のころに実際に起きていたことです。

テレビ番組でも派手なのもが多く、ジュリアナ東京に代表される「イケイケ」な雰囲気が世の中に充満していたのを子供ながらに感じ取っていました。

 

しかし、そんな黄金時代は長続きしません。

不動産への資金供給規制をきっかけにバブルは急速に崩壊します。

バブル崩壊については、次の機会に書きたいと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

プライバシーポリシー お問い合わせ