「バブル経済とは?」
「バブルはいつからいつまで?」
「バブル経済の原因は?」
「バブル崩壊って何?」
このページをご覧の皆さんは、そのように思っているかもしれません。
バブル経済とは、1980年代後半から1990年代初頭の日本でおきた空前の好景気です。
バブル経済の原因は、円高不況対策の低金利政策や原油価格の下落などにより「金余り」現象が起きたことです。
企業や人々は余ったお金で株や土地などを買いまくったため、資産価値が上昇。
空前の好景気になりました。
しかし、政府が土地価格の急上昇を心配し、資金貸し出しを制限する総量規制を行ったことでお金の流れが悪くなりました。
その結果、バブル経済は崩壊してしまいます。
今回は、バブル経済の原因や期間、崩壊後の影響などについてまとめます。
バブル経済とは?
バブル経済とはそもそもどのようなものだったのでしょうか。
日本に空前の繁栄をもたらしたバブル経済の内容や期間についてまとめます。
日本銀行によるバブル経済の説明
バブル景気から10年近く経過した2000年12月、日本銀行はバブルについてまとめた「資産価格バブルと金融政策」と題されたレポートを発表しました。
レポートの原文をご覧になりたい方は、下記の記事をご覧ください。
https://www.imes.boj.or.jp/research/abstracts/japanese/kk19-4-9.html
この中で、バブル経済の特徴を
バブル経済は、
①資産価格の急激な上昇
②経済活動の過熱
③マネー・信用の膨張
の3つによって特徴づけられる。
としました。
簡単に言えば、お金がたくさん出回ることで株や土地などの資産価格が急上昇し、景気が良くなりすぎたということですね。
好景気・不景気について知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。
バブル経済の期間
バブル経済の期間は、1986年12月から1991年2月にかけての51か月間です。
この間、日本では土地や株といった資産が大幅に値上がりしました。
また、物がたくさん売れ、消費が活発になったので今まで体験したことがないほどの好景気となります。
一般的には、バブル経済、バブル景気、バブル期、平成景気、平成バブルなどともよばれますね。
この時代、株や土地、建物、絵画、宝石など有形無形のあらゆる資産が急騰します。
人々は争ってこれらの資産を購入し、高値で転売していました。
高額で資産を購入しても、それ以上に高く売れたわけですから人々が争って資産を買いあさっていたのもうなずけます。
1980年代後半の「金余り」を背景に、土地の転売や財テク、ノンバンクなどによる土地関連融資やリゾート法の改正などにより、一獲千金を夢見る投機が流行します。
バブル発生の3つの原因
バブル景気の背景には「金余り」があったという説明がなされることが多いです。
では、なぜ「金余り」が発生したのでしょうか。
①円高不況と低金利政策
第二次世界大戦後、日本は輸出産業を中心に経済成長を遂げていました。
1973年、アメリカのニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表。
ドルを中心とした固定相場制(ブレトンウッズ体制)が崩壊しました。
それまで、1ドル360円だった為替相場は1ドル308円になります。
その後も、為替相場ではドルの値下げが続き、1ドル240円前後まで下がります。
しかし、それでもアメリカ経済の実態から考えればドルは高すぎでした。
少しでもドルを値下げし、輸出を増やすことで貿易赤字を減らしたいアメリカはフランス、イギリス、日本、西ドイツの代表と協議。
ドル安を誘導するプラザ合意が結ばれました。
これにより、円高が急速に進行。
日本の景気を悪化させます(円高不況)。
日本銀行は低金利政策を実施し、市場にお金をたくさん供給しました。
日本銀行がお金を増やした理由は、国内の消費を活発にし、日本経済を回復させることでした。
円高不況が一段落し、景気が回復した後も日本銀行は低金利政策を継続。
このことが、金余りの原因となってしまいます。
②原油価格の下落
1970年代、第四次中東戦争やイラン革命により、原油が急騰しました。
これをオイルショックといいます。
石油を輸入していた日本や欧米などの先進国は、オイルショックにより経済成長が鈍化しました。
1986年、原油価格は大幅に下落します。下落の原因として2つの要因があげられました。
一つは、需給バランスが緩和したこと。
1980年代前半の不景気により、世界的に原油の需要量が減ったことが大きな要因です。
もう一つの要因は世界的な原油の増産。
1970年代の高値に刺激され、中東以外の地域でも石油生産が活発化します。
モノは余れば安くなります。
原油価格の暴落について、日本エネルギー経済研究所が出したレポートをご覧になりたい方は、こちらをご覧ください。
http://eneken.ieej.or.jp/data/6040.pdf
③国内市場への資金流入
円高不況から脱出するため、日本銀行は政策金利を大きく引き下げ、企業がお金を借りやすくしました。
政府は公共事業を活発に行い、企業や労働者にお金が行き渡るようにします。
原油価格が下落したことで、生産や輸送のコストが減ったことも好景気の背中を押しました。
日本全体に過剰ともいえるお金が出回ったことで、企業や投資家たちは「価値がありそうなもの」を次々に購入。
あらゆる資産の価値が向上するバブルの状態が生み出されました。
バブル経済の内容
「金余り」のバブル時代が到来すると、人々は日本経済の実力を過大評価。一獲千金を夢見る投機が大流行します。
地価の高騰
国内であり余ったお金が向かった先は土地でした。
このころ、土地の価格は上がることはあっても下がることはないという「土地神話」が流布していました。
条件の良い土地は再開発のため買い集められ、高い値段が付きます。
また、それに目をつけ高額で転売するための土地購入が盛んになり、地価が高騰しました。
銀行や土地購入のための資金を次々と供給しました。
銀行による貸し出しは1985年3月末から1993年3月末にかけて、251兆円から482兆円とほぼ倍増します。
株価の急上昇
1986年2月、分割民営化により株式会社となっていたNTTが上場。
2か月後には売り出し価格の3倍の株価となりました。
株価の急上昇に刺激された企業や個人は「財テク」にのめりこんでいきます。
1988年、来日したアメリカの中央銀行にあたるFRB議長のグリーンスパンは、日本の株価が実体経済より過大評価されている可能性を指摘します。
しかし、当時グリーンスパンに警告に耳を傾ける人は少数派だったでしょう。
1986年から急上昇した日経平均株価は、1989年12月29日に38.957円を記録。
1985年の約3倍へと膨張しました。
地上げ屋の出現
土地の価格が高騰すると、右肩上がりに上昇する土地を狙って強引な用地賠償が行われるようになりました。
細切れの小さな土地でも、近隣の土地とあわせて大きくすれば資産価値は大幅に上昇します。
そのため、地主や住民を強引に脅し土地を強引に買い取る「地上げ屋」が出現しました。
地上げは大きな利益をもたらすだけに、現在でも問題となることがあります。
土地の売買を行う際には、十分用心したほうが良いでしょう。
バブル期のエピソード
バブル期には、現在では考えられないような派手なエピソードがあったようです。
よく聞くのは、タクシー代のこと。
1万円札を振ってタクシーを止めたというのは大げさにしても、帰宅時のタクシーはお客による争奪戦だったそうです。
企業が社員に対し、タクシー券を渡していたのも、今は昔の物語といったところでしょうね。
バブル期は、高級住宅や高級車、高額のゴルフ会員権などが飛ぶように売れていました。
リゾート開発も盛んで、クリスマスには豪華なリゾートで、という話も珍しくありません。
就職も超売り手市場で、公務員になるのはもったいない。
勤めるなら高給取りの証券会社がいいといわれていた時代です。
バブル崩壊
バブル崩壊の原因
バブル経済が崩壊した原因として2つのことが指摘されます。
一つ目が金融の引き締め。
二つ目は土地政策の転換です。
①金融の引き締め
金融の引き締めという言葉には様々な意味がありますが、ここでは金利の引き上げを指すと考えてください。
ここでいう金利は日本銀行が一般の銀行に貸し出すときの利子率(公定歩合)です。
不景気の時、日本銀行は世の中にたくさんのおカネをばらまいて景気を良くしようとします。
しかし、景気が良くなりすぎ、物価が高騰すると日本銀行は貸出金利を引き上げ、銀行がお金を借りにくくしました。
日本銀行は公定歩合を何度か引き上げ、2.5%から6%台とします。
金利が上がったたため、銀行から企業に貸し出す融資の基準が厳しくなりました。
金回りが悪化した結果、株価は大きく値下がりします。
②土地政策の転換
政府は地価が高騰しすぎて人々が住宅を購入できないことを問題視します。
そして、総量規制という新しいルールを設けました。
このルールは、貸出総額に占める土地関連融資額を制限するものでした。
今まで、借金をして土地を買い、それよりも高い値段で転売していた人々が資金を借りられなくなってしまいました。
そのため、高値の土地に買い手がつかず、地価が暴落してしまいます。
また、同時に「地価税法」も適用され土地所有者に対する課税が強化されました。
その結果、土地は値下がりしないという土地神話は崩壊。
転売に失敗した人たちが破産する事態も発生しました。
バブル崩壊の3つの影響
①不良債権の急増
不良債権とは、銀行などの金融機関が貸し出したお金のうち回収困難となった融資のことです。
土地売却がしにくくなったことや、金利上昇でお金が借りにくくなったことで銀行にお金を返せない企業や個人が多数現れました。
②銀行・証券会社の倒産
金融引き締めの結果起きた株価の急落と政府の土地政策変更による土地価格の下落は多数の不良債権を生み出しました。
これにより、「山一證券」をはじめとする経営基盤の弱い証券会社が破綻してしまいました。
また、銀行はこれまで貸し出していたお金を企業から強引に回収しようとします。
このことを「貸しはがし」といいますね。
さらに、銀行は新規の融資に慎重になります。
これを「貸し渋り」といいました。
しかし、これだけいろいろやっても不良債権が積みあがって倒産してしまう銀行が現れます。
その代表が北海道の「北海道拓殖銀行」でしょう。
③雇用の悪化
金融状況の悪化は、多くの企業を直撃しました。
景気の悪化を受け、大企業でも採用を控える動きが拡大。
「就職氷河期」とよばれる状態が出現しました。
バブル崩壊をきっかけに、日本は未曽有の「平成不況」に突入してしまいます。
さいごに
バブル景気は、今では伝説のように語られていますが、木彫りグマが子供のころに実際に起きていたことです。
テレビ番組でも派手なのもが多く、ジュリアナ東京に代表される「イケイケ」な雰囲気が世の中に充満していたのを子供ながらに感じ取っていました。
しかし、そんな黄金時代は長続きしません。
不動産への資金供給規制をきっかけにバブルは急速に崩壊します。
バブル崩壊については、次の機会に書きたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。