「上洛とは何か?」
「なぜ、戦国大名たちが京都を目指したのか?」
このページをご覧の方は、そのようなことをお考えかもしれません。
織田信長、上杉謙信、武田信玄。数々の有名武将が目指した京都。戦国大名たちは目的があって京の都を目指しました。
今回は何故武将たちが都を目指したかについてわかりやすく解説します。
地方の自立
室町時代の後半を戦国時代と呼びます。応仁の乱の後、全国各地で身分が下のものが上のものを倒す下克上の動きが盛んになりました。そのうち、実力で地方を支配するものが現れます。戦国大名の登場です。
戦国大名は現代でいう都道府県程度の広さを支配し、分国法と呼ばれる独自の法律を制定していました。独自の家臣団も組織して領土の拡大を図ります。
当時も室町幕府の将軍はいましたが京都周辺を支配する力しかありません。どうしてそんなに弱くなったのでしょう。
足利将軍の没落
もともと、室町幕府の将軍の力はあまり強いものではありませんでした。室町時代のはじめに起きた南北朝の争乱の中で、幕府は味方になった大名たちに地方で自立だけの権利を与えてしまったのが原因です。
一休さんでおなじみの3代将軍足利義満は強いリーダーシップで逆らう大名たちをねじ伏せることができました。しかし、中には6代将軍の足利義教のように、大名を討伐しようとして暗殺される将軍もいました。
足利将軍の力が決定的に弱まったのは応仁の乱の後です。将軍家や有力大名の後継争いが京都を中心に11年間も続きました。自分の足元さえまともに治められないとあっては地方の有力大名が幕府のいうことをきかなくなったとしても当然です。
応仁の乱以後、室町幕府の力は京都とその周辺にのみ及ぼされる程度でした。13代足利義輝は管領細川家の家臣である三好氏の家臣の松永久秀に殺害されてしまいました。
足利義輝について知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。
将軍ともあろうものが、家臣の家臣のそのまた家臣に殺されるなど前代未聞のこと。将軍の没落は決定的となりました。
京都の戦略的価値
戦乱に明け暮れる京都やその周辺地域には、他の地域にはない戦略的価値がありました。
一つ目が京都には天皇がいることです。
天皇やその周辺にいる公家たちは官職を任命する権利を持っていました。官職は実際の力が伴わない名前だけのものですが、地域を支配する戦国大名が「天皇に〇〇国の支配を認められたぞ!」と言えることは他と比べて有利なことでした。
二つ目は、京都が物流の中心で経済的にも豊かだったことです。
京都は淀川を通じて大阪湾に通じています。その水運を利用することができたからです。また、高利貸しの土倉や酒屋も多くありました。力を持った商人たちは町衆として京都の自治をおこないます。京都を支配することはその商人たちから税をとれることも意味していました。
三つ目は、京都を中心とする近畿地方一帯が経済的に豊かだったことです。
現代の私たちは東京中心という状態になれていますが、江戸時代の終わりまで経済の中心は大阪や京都でした。近畿地方を抑えることで強い経済力を手に入れることができたのです。
京都の利点を生かすには軍事力が必要
京都やその周辺は経済的に豊かでしたが、完全に支配するには軍事力が必要でした。というのも、公家や寺社・豪商を黙らせ、支配を認めさせるためには生半可な力ではダメだったからです。
その圧倒的な軍事力をもって京都に乗り込んだのが織田信長です。信長は京都を掌握すると、周辺地帯の支配に力を注ぎました。信長の力の前には自治都市の堺も屈服せざるを得なかったのです。
信長の支配にあくまで逆らったのが石山本願寺や比叡山などの寺社勢力でした。平安時代から僧兵などの武力をもっていた寺社はそう簡単に信長に従おうとしません。そこで信長は比叡山を焼打ちしたり石山本願寺と10年間もの戦争を行ったのです。
信長の遺産を活用した豊臣秀吉
近畿地方をだいたい平定した信長の遺産を最大限に活用したのが豊臣秀吉でした。秀吉は京都の支配を確実なものとするため、信長の二条城よりもしっかりした聚楽第を築きます。また、京都の南にある伏見に伏見城を築き、しばしば伏見城に滞在しました。
伏見は京都と大阪やほかの地域をつなぐ交通の重要拠点。ここに秀吉が居座ることで近畿地方全体ににらみを利かせたのです。
また、秀吉は朝廷から関白・太政大臣に任命されます。この位は貴族の最高位で、武士で太政大臣の地位に就くのは平清盛以来のことでした。朝廷の権威を最大限に利用して天下統一を進めようとしたのです。
豊臣秀吉について知りたい方はこちらの記事もどうぞ。
まとめ
戦国時代、ひとかどの武力を持つ多くの戦国大名が京都を目指し、志半ばで上洛を果たせませんでした。今川義元は桶狭間で信長に敗れました。武田信玄は上洛途中に病でこの世を去ります。上杉謙信は一度は織田軍を破るものの、再度出撃する直前に脳卒中でこの世を去ります。
京都に比較的近く、なりふり構わず上洛した信長が最終的には京都を手に入れることができました。大きすぎる価値を持つ京都は、大きな力を持つ信長でなければ制御できなかったのかもしれません。
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