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『平家物語』「敦盛の最期」の登場人物や心情、物語の意味をわかりやすく解説!

敦盛の最期の意味が知りたい

敦盛の最期の登場人物は?

平敦盛や熊谷次郎直実の心情について知りたい

 

このページを見ている人はそんな疑問を解決したいのではないでしょうか。「敦盛の最期」は平家物語の一部で、登場するのは美貌の青年武将平敦盛と坂東武熊谷次郎直実の二人です

 

そこで、今回は「敦盛の最期」の登場人物や源平合戦の全体像、「敦盛の最期」が起きる一の谷の戦い、「敦盛の最期」の意訳や戦後の熊谷直実などについてまとめます。

 

この記事で分かること

  • 登場人物二人のプロフィール
  • 源平合戦全体の中で、一の谷の戦いがいつ起きたのか
  • 一の谷の戦いでの「敦盛の最期」の位置づけ
  • 「敦盛の最期」の意訳
  • 戦いが終わった後の熊谷次郎直実
  • 信長と敦盛の関り

 

平家物語平安時代の物語に興味がある方は、こちらの記事もどうぞ!

 

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平家物語』を語り継いだ琵琶法師

琵琶法師 - Wikipedia

 

「敦盛の最期」の登場人物二人

敦盛の最期は、平家の公達「平敦盛」と、義経軍の一員として参戦した東国武士「熊谷次郎直実」の二人です。

 

平家の美しい公達「平敦盛

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平敦盛

引用:平敦盛 - Wikipedia

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平敦盛は、平氏の棟梁である平清盛の弟である平経盛の子。つまり、清盛の甥にあたる人物です。

 

清盛が天下の政治を担っていたころ、平時忠(清盛の妻の弟)は「平家にあらずんば人にあらず」と言い切りました。

それだけ、平氏に権力が集まると、平氏一門の男子は無条件で位を与えられるようになります。

 

敦盛は、源平合戦のころは官職についていなかったため「無官大夫」とよばれました。

しかし、位は従五位下で貴族の一員となっています。

 

敦盛は若くして笛の名手として知られていました。

そのため、敦盛は祖父の平忠盛鳥羽上皇から与えられた「小枝(さ枝)」という名の笛を与えられます

この笛が、のちに、討ち取られた若武者が平敦盛であるという証拠となりました。

敦盛をはじめ、平家の人々の栄華と転落を描いたのが名作『平家物語』。

とても長い作品ですが、「敦盛の最期」はその平家物語の一節です。

全体の流れを知っていた方が、問題にスムーズにこたえられるので、こちらのマンガもオススメです!

 

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武蔵国の住人、熊谷次郎直実

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熊谷次郎直実

引用:熊谷直実 - Wikipedia

熊谷次郎直実武蔵国熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)を本拠地とした武士。

若いころ、自立して一人前の武士として所領を持ちたいと考えた熊谷は京都で平知盛(清盛の四男)に仕えますが、関東に戻り頼朝の挙兵に参加します。

 

直実は京都に派遣された源範頼源義経軍の一員として平氏討伐戦に参戦しました。

直実は、名のある武将を討ち取って手柄を上げ、自分の所領を得ようと躍起になります。

 

源平合戦(治承寿永の乱)の全体像

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1180年の以仁王の令旨から、源平合戦(治承寿永の乱)が始まりました。

最初は平氏が優位でしたが、棟梁の平清盛が死んでから、平氏は劣勢となります。

 

1183年、倶利伽羅峠の戦い木曽義仲に敗れた平氏安徳天皇を連れて都落ち

西国で再起を期しました。

 都にいた後白河法皇は、木曽義仲の扱いに困り源頼朝に義仲討伐を依頼。

頼朝の命令で源範頼源義経が上洛し、宇治川の戦い木曽義仲に勝利しました。

 

木曽義仲に関して知りたい方はこちらもどうぞ!

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その後、範頼・義経軍は平氏を討伐するため西国に向かいます。

1184年に平氏軍が守る一の谷を、範頼・義経軍が攻めて起きたのが一の谷の戦いです。

敦盛は守備側の一員として、熊谷次郎直実は攻撃側の一員として参戦します。

一の谷の戦い

1184年、範頼・義経軍は平氏が守る一の谷を攻めました。

東から主力軍を率いる範頼軍が、平知盛平重衡の軍と正面からぶつかります。

 

一方。義経は一の谷を迂回し、山の中の抜け道から一の谷の背後に回り込みます。

熊谷次郎直実は、義経率いる別動隊に所属していました。

 

迂回に成功した義経は、平氏軍の背後にそびえたつ断崖「鵯越(ひよどりごえ)」を馬で駆け降りる作戦を決行!

襲ってくるはずがない、背後のがけからの急襲に平氏軍は大混乱に陥ります。

 

熊谷次郎直実は、先陣争いを急ぐあまり、敵に包囲され殺されかけますが、何とか生き延びて大将首を探します

  

「敦盛の最期」の意訳

戦いは、源氏の勝利に終わりそうだ。

平氏の位の高い武将が助け舟に乗ろうと海岸に行くはず。

だれか、討ち取って手柄にできる対象はいないだろうか…

 

そう思いながら熊谷が海岸線で敵を探していると、見るからに「キラキラ」とした軍装の若武者が、海に馬を乗り入れているではないか。 

 

熊「(逃げている若武者に向かって)、あなたは大将軍のはずなのに、敵に背を見せて恥ずかしくないか!戻ってきて勝負しろ!」と扇で若武者を招きました。

 

すると、挑発に乗ってしまった若武者が馬を返してくる。

熊谷はすかさず、若武者に組み付き、あっというまに組み伏せます。

首を取ろうと、甲を押しのけてみれば、まだ、十六・七歳くらいの若者だった。

 

その若者は、息子の小次郎と同じくらいの歳で、あまりに「イケメン」だったので、どこに刀を突きさせばよいかわからなくなってしまいました。

 

熊「そもそも、あなた様はどのような方でしょう。助けて差し上げるので、名前を教えてください

 

若「お前は誰だ

 

熊「武蔵国住人、熊谷次郎直実

 

若「(身分が圧倒的に低い)お前には私の正体はしゃべらないぞ。

首を取って人に聞け。

きっと誰かが知っているはずだ(そのくらい、私は有名だ)

 

熊「ああ、なんと素晴らしい大将軍か(命乞いをせず、堂々としているから)。

この人を討ち取っても討ち取らなくても、戦いの結果は変わらない。

なら、いっそ助けようか

 

そう思って、熊谷が振り返ると、土肥・梶原ら関東側の軍勢が50騎ばかりで迫っていました。

 

熊「助けようと思いましたが、味方の軍が迫っているので、助けることはできません。

ほかの人に討ち取られるより、私があなたを討ち取りましょう。

 

若「さっさと、私の首を取れ

 

熊谷は、どうしても首を斬ることができず動揺してしまいましたが、ついには泣く泣く若武者の首を取りました。

 

熊「武士とはなんと残念なことか。武士の家に生まれなければ、こんなことをしなくてもよかったのに

と話した後、さめざめと泣いてしまいました。

 

熊谷次郎直実が敦盛の首を、直垂で包もうとしていると、錦の袋に入れた笛が敦盛の腰に刺さっているのを見つけた。

 

熊「ああ、なんと気の毒なことだ。

戦いの最中に音楽の宴を催していたのはこの人たちだったのだ

(中略)

 

戦いの後、熊谷次郎直実は大将の義経に首と笛を見せたところ、周囲の人々で涙しないものはいなかったといいます。

 

この「敦盛の最期」は中学校2年生で習うことが多い古典の教材です。

初めて見る本格的な古典の文章なので、結構挫折してしまう学生が多かったのを思い出します。

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戦後の熊谷直実

敦盛を討ち取ったのち、熊谷次郎直実は浄土宗の開祖である法然と出会います

熊谷次郎直実は法然に「後生(死後、どのようにすれば成仏できるか」について尋ねました。

 

法然は「罪の軽い想いに関わらず、ひたすら念仏を唱えるとよい。それ以外に道はない」と説きました。

熊谷次郎直実は号泣。その後、熊谷次郎直実は出家し、法然の弟子となり、蓮生と名乗りました。 

 

織田信長が好んだ幸若舞の「敦盛」

源平合戦の一幕である、「敦盛の最期」を題材としたのが室町時代に流行した幸若舞です。

信長も幸若舞を愛好したことで知られます。

 

信長が好んだのは、出家した直実が心中を語るシーン。

原文を引用すればこうなります。

 

此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。

人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。

一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる。-『信長公記

 

人生は五十年。

生きている人間の一生など夢幻のようだ。

一度生を受けて、滅びないものなどあるものか。

 

この一節を舞った後、信長は桶狭間に出陣します。

信長にとって、敦盛は一瞬の光輝く生の象徴だったのかもしれません。

 

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