「韓信ってどんな人?」
「韓信の股くぐりの意味とは?」
「股くぐりのあと、韓信はどうなったの?」
このページをご覧の皆さんはそのような疑問を持っているかもしれません。
指揮官として卓越した才能を持っていた韓信は多くの戦いに勝利し名声を高めました。
韓信は怒りを抑え、無駄な争いに巻き込まれることを避けました。
後年、韓信は出世して王になります。
そして、自分に股くぐりをさせた男や自分に食べ物をめぐんでくれた老婆に褒美を与えました。
韓信について知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。
今回は韓信や韓信の股くぐりにエピソード、股くぐり後の韓信についてまとめます。
中国の歴史書「史記」
古来、中国では歴史をしるすことがとても大事だと考えられていました。
紙がまだ発明されていなかった時代、中国では青竹を火であぶり、青みを消した竹に墨で文字を書き込み紙代わりにしました。
そのため、歴史に名を残すことを「青史に名を残す」といいます。
人として生まれたなら、「青史=歴史」に名を残したい。
そういう切なる思いがこめられた言葉だともいえますね。
古代中国で最も偉大な歴史家といえば、司馬遷です。
司馬遷は父から歴史編纂の事業を引き継ぎ、中国各地をめぐって資料収集や現場証人の証言などを集め、歴史書にまとめました。
それが「史記」です。
史記のエピソードの一つである始皇帝暗殺については以前の記事で取り上げたことがありますので、興味がある方はそちらもご覧ください。
傍若無人の語源となった始皇帝暗殺を企てた男「荊軻(けいか)」
あるとき、司馬遷は匈奴との戦いで敗れた李陵を弁護しましたが、これが時の漢の皇帝である武帝の怒りを買い投獄されます。
そして、男性器を切断される宮刑に処されました。
非常に屈辱的な刑罰ですが、司馬遷は書きかけの「史記」を完成させるため、この屈辱に耐えます。
司馬遷の思いがこめられた「史記」は、単なる歴史書の枠を超え、後世の人々に歴史上の人物の生き様を伝えました。
司馬遷は年代順に歴史を紹介するのではなく、一人一人にスポットをあてて紹介する列伝の形式をとりました。
そのため、「史記」に取り上げられた人々は生々しいまでの人間性をもっています。
現代人の読み物としても十二分に読み応えがあると思いますよ。
韓信のプロフィール
韓信は秦末から漢初にかけて活躍した人物です。
漢の建国者である劉邦は多くの人材に恵まれましたが、中でも内政を支えた蕭何と謀略・軍略面に優れた張良とならび、実戦部隊を指揮して数々の戦いに勝利した韓信は、漢の三傑の一人として高く評価されました。
劉邦については、以前の記事に書きましたので興味のある方はこちらもご覧ください。
若いころから素行が悪く、貧乏で定職にも就かなかったため地域の人々から見下されていました。
しかし、あまり高い地位に就くことはできませんでした。
韓信はしばしば項羽に進言しますが、韓信の進言はとりあげられません。
一度は、その劉邦も見限ろうとしますが劉邦の腹心である蕭何に説得され劉邦の元に戻ります。
蕭何は劉邦を説得し、韓信を漢軍の総司令官である大将軍にさせました。
そこからの韓信の活躍は目を疑うばかりでした。
鉄壁の防御かと思われた秦の旧都咸陽を鮮やかに攻め落とし、兵法の常識をやぶる背水の陣で趙軍を撃破。
70もの城をもつ斉も攻め落とし、劉邦の天下統一に貢献します。
項羽と劉邦の最終決戦では劉邦軍の総司令官を務め、無敗の勇将である項羽を四面楚歌の状態に追い詰めて討ち取りました。
しかし、晩年は劉邦に疑われ領地没収。
反乱を起こそうとしますが、先手を打たれて捕らえられ処刑されました。
韓信の股くぐり
韓信がまだ若く、地元で放蕩三昧の生活を続けていたころ、韓信は町の若者に絡まれます。
絡まれた理由は、韓信が立派な剣を持っていたことでした。
若者は韓信に「お前は背が高く、立派な剣を持っているが、本当は臆病者に違いない。もし違うと言うなら、お前の剣で俺を刺し殺してみろ。それが出来ないなら、俺の股の下をくぐれ」といいました。
街中で、こんな風にすごまれたら、たいていの人はビックリしますよね。
あるいは、相手の挑発に乗って剣で刺そうとしたかもしれません。
しかし、韓信は違いました。
韓信は無言で若者の股の下をくぐります。
当然、相手は調子に乗って、臆病者だ、弱虫だと散々ののしります。
それでも、韓信は反論も反撃もしませんでした。
韓信は、相手を刺してもトラブルに巻き込まれ、仇として仲間に狙われるかもしれない。
そのくらいなら、一時の恥をしのんで股をくぐったほうがよいと判断したようです。
自分の怒りの感情を上手にコントロールすることをアンがーマネジメントと言うそうですが、このときの韓信は、アンガーマネジメントの達人といっても良いかもしれませんね。
股くぐりの後日談
項羽と劉邦の戦いが終わり、漢王朝が建国されると劉邦は韓信を故郷の楚の王としました。
韓信は若いころに自分に飯を恵んでくれた老婆と、居候させてくれた下級役人、股をくぐらせた男を探し出させます。
老婆には、一番苦しいときに助けてくれたことを感謝し、老婆が使いきれないほどの大金を与えました。
居候させてくれた下級役人は、途中で韓信を追い出してしまったため、わずかな銭しか与えられません。
そして、股をくぐらせた男に対しては「あの時、お前を殺すことは簡単だった。だが、それでは自分の名は上がらない。ガマンして股くぐりをしたからこそ、王になれたのだ」と言って男を警察官に取り立てます。
呼び出された男は復讐され、残酷に殺されてもおかしくありませんでしたが、思いもかけない待遇に拍子抜けしたかもしれませんね。
さいごに
怒りに任せて、挑発に乗ったり、けんかをするのは簡単なことです。
SNSで、心無い人の発言にいちいち心を乱され、怒って書き込みをしてしまう気持ちはよくわかります。
しかし、韓信の股くぐりの故事は自分の怒りを抑えて「バカ」と付き合わないことの大切さを教えてくれていると思います。
古典を学ぶ意味は、過去の生き方に学ぶことだと言いますが、このときの韓信の態度は、今でも十分、学ぶべきものではないでしょうか。