「地租改正って何?」
「江戸時代から続く税はどうなったの?」
「明治時代の税金について知りたい」
この記事をご覧の方はそのようなことをお考えかもしれません。
地租改正とは、土地の所有者に地券を発行し、地券で定められた地価の3%を現金で納税させる仕組みです。
政府は地租を主な財源とし、江戸時代から続く様々な雑税をいったん廃止。
その上で、煙草税や醤油税、酒税などを制定し全国民から幅広く徴税しようとしました。
こうして集められた税の多くは軍備拡張などに使われました。
今回は、地租だけでなくあまり知られていない明治時代の税金についてまとめてみます。
今と昔の税の違いについて知りたい方は是非読んでください!
また、明治時代に行われた財政政策として有名な松方財政について知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。
明治政府が地租改正を行った目的は?
明治政府が地租改正をおこなった目的は、「現金」を手に入れるためでした。
1868年から1869年の戊辰戦争に勝利した明治新政府は、新しい国づくりを進めようとしました。
そんな明治政府にとって一番の課題は財源。
とにかく、明治政府はお金がなかったんです。
明治新政府は太政官札や民部省札を発行して何とかやりくりしようとしますが、なにせ、できたばかりの明治新政府に信用なんかこれっぽちもありません。
お札は紙切れ同然になってしまうかもしれませんでした。
明治政府は新たな財源を見つけ、日本各地から税を集める必要に迫られます。
そこで彼らが考えたのが、年貢を現金でおさめさせるということでした。
地租改正以前の土地制度について知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。
地租改正の目的は、年貢を米ではなく「現金」でおさめさせるということです。
そのために、明治新政府は土地に価格(地価)を設定。
土地の所有者に地価の3%を現金でおさめさせる「地租」という税金をかけました。
このころ、日本には諸外国のような工業が発達していなかったので、農民たちから税をとるのがもっとも効果的だったからですね。
これ以後、日本政府にとって地租は重要な財源となりました。
地租は政府の収入の70~80%にも及びます。
地租改正について知りたい方は、こちらの記事もどうぞ!
江戸時代から続く「雑税」をいったん廃止!
江戸時代、日本の税金は職業によって大きなばらつきがありました。
もともと、江戸幕府は土地を持っている農民(本百姓)から年貢をとることを財源としていました。
そのため、町に住む町人は農民と比べると比較的税負担が軽かったのです。
時代劇で、よく貧しい人々が長屋に集まって暮らしている様子が描かれますよね。
あの人たちの大半は、周辺の農村から江戸に流れてきた人たちでした。
人口が増え、持っている土地だけでは養えなくなった人々や、自然災害などで田畑を失った人々は、そのままでは生活再建もままなりません。
そのため、日銭を得られて税負担も軽い都市に流入するようになったのです。
幕府は有力な商人たちに利権や特権を認め、その見返りにお金を上納させる運上・冥加をもらっていました。
運上や冥加は臨時に課されることもあり、安定した財源とはいいにくいものです。
江戸時代中期の田沼意次の時代に、商業中心の改革が進められましたが、これは江戸時代としては例外中の例外。
享保の改革、寛政の改革、天保の改革はいずれも農業の再生による財政再建を目指すものでした。
また、江戸時代は幕府のほかに藩があり、藩の領域は日本全国の4分の3に達していました。
藩ごとの税の仕組みや考え方が違うため、明治維新直後はそれぞれの藩の昔のやり方を継続します。
1875年、明治新政府は1,500以上にも上っていた雑税をいったん廃止しました。
これ以後、税金は国におさめる国税と地方に納める地方税が明確になります。
1875年以降に新しく作られた税金
雑税廃止後、地租以外の様々な税金が課されました。
今回は煙草税、酒税、醤油税、非常特別税について取り上げます。
煙草税(1875)
煙草は代表的な嗜好品の一つです。
明治時代の煙草税は煙草営業税と製造煙草税に分かれていました。
煙草営業税が年額10円、製造煙草税が年額5円と定められます。
日清戦争による戦費調達のため、大蔵省は煙草税を増税しました。
煙草税を確実に徴収するため、明治時代後半に煙草は専売制度が敷かれます。
古来、専売制度は国が税を集めるのに非常に都合がよい仕組みでした。
酒税(1875)
酒税は煙草税と並び、国の財政を支えた税金でした。
文字通り、酒類に課される税金ですが、明治32年(1899)には地租を抜いて国税第一位となります。
近代的な醸造が普及したことで酒の生産量が増加したことも酒税の増加につながりました。
同時に、酒税から逃れる密造酒も盛んに作られ、明治時代以降、さまざまな密造酒がつくられ、当局が摘発します。
密造種の製造業者と当局の摘発はイタチごっこの楊で、なかなか決着がつきません。
醤油税(1885)
今の日本ではちょっと考えにくいですが、戦前はけっこうピンポイントな課税がありました。
わかりやすい例として醤油税があります。
醤油は江戸時代から課税の対象とみなされました。
醤油を生産・販売する商人は株仲間を組織し、幕府に冥加金を納めています。
1875年の雑税廃止で醤油関連の税金はいったん廃止となりました。
しかし、日本が東アジアで覇権を争うようになると、戦争のためにお金が必要となります。
そこで、醤油税が復活したというわけなんですね。
1897年に営業税ができると、周税の相当部分が営業税に吸収され、醤油税の税収は全歳入の2%以下にまで落ち込みます。
非常特別税(1904)
明治維新以降、日本が行った戦争の中で最も苦しかったのは日露戦争でした。
日露戦争で使った戦費は国家予算の6倍以上。
とてつもない出費に対応するため、政府は「非常特別税」を課しました。
地租や営業税、所得税、酒税(酒造税)など各種の税を引き上げ、かつ、相続税、塩の専売、煙草の専売などで税を上乗せします。
最初は、戦争終結後に元の税率に戻すはずでしたが、なんだかんだで1913年まで継続。しかも、そのころには増税分をちゃっかり元の税に組み込んでから廃止しました。
なので、事実上、増税は継続したといってもよいでしょう。
一度上がった税金は、なかなか下がらないもののようです。
まとめ
今回は地租改正や地租以外の税金についてまとめました。
現代よりも工業が発達していなかった明治時代は農民から徴収する地租に依存していました。
江戸時代に数多くあった各地の税はいったん廃止されます。
しかし、軍備拡張などによりお金が必要だった明治政府は煙草税や醤油税、酒税など様々な税を設け国民から広く税金を集めました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。